圓学法師の詠草

11
1
令和五年十一月
初冬
竜田山からいろ衣ぬぎ捨ててたれすみそめむ冬のぬしとて
圓学

12
1
令和五年十一月
忍恋
忍ぶこそあらまほしけれ世の中の恋てふものの果てぞむなしき
圓学

13
1
令和五年十一月
忍恋
風わたる小野の篠原そよぐともそよとな立てそあらじとぞ吹け
圓学

14
1
令和五年十一月
忍恋
隠沼に身を捨ててこそ恋死なめ水籠りのまま朽ちむものなら
圓学

68
1
令和五年十月
羇旅
雨の宇治にて
きてみれば濡れてぞつらき旅衣いつかやむべき雨の浮橋
圓学

「きてみれば濡れてぞつらき旅衣いつかやむべき雨の浮橋」

判者評:

69
1
令和五年十月
羇旅
雨の宇治にて
へだてつる宇治の川辺をまどふればたち渡りたる朝霧の橋
圓学

「へだてつる宇治の川辺をまどふればたち渡りたる朝霧の橋」

判者評:

70
1
令和五年十月
夕されば霧の籬に置きまよふ天つ空なる星の白菊
圓学

「夕されば霧の籬に置きまよふ天つ空なる星の白菊」

判者評:

71
1
令和五年十月
夕霧の闇のひまよりもれてくる雲居の雁の声ぞわびしき
圓学

「夕霧の闇のひまよりもれてくる雲居の雁の声ぞわびしき」

判者評:

72
1
令和五年十月
鳰の海や波にうつろふひさかたの影を慕ひて落つる雁金
圓学

「鳰の海や波にうつろふひさかたの影を慕ひて落つる雁金」

判者評:

73
1
令和五年十月
初恋
北山の若紫を思ひ初めて
初草や霞の間より見てしよりたつことかたき春の北山
圓学

「初草や霞の間より見てしよりたつことかたき春の北山」

判者評:

74
1
令和五年十月
初恋
北山の若紫を思ひ初めて
北山の四方に匂へる桜よりほのみえそむる草ぞこひしき
圓学

「北山の四方に匂へる桜よりほのみえそむる草ぞこひしき」

判者評:

112
1
令和五年九月
待恋
萩が散る小野のあしたとなりぬべし来ぬ人を待つ袖の景色は
圓学

「萩が散る小野のあしたとなりぬべし来ぬ人を待つ袖の景色は」

判者評:

123
1
令和五年九月
さらぬだに慰めがたき秋の夜に心尽くせと月のぼるらむ
圓学

「さらぬだに慰めがたき秋の夜に心尽くせと月のぼるらむ」

判者評:

130
1
令和五年九月
きのふまで田ごとに映る更科の月ぞ稲葉の穂に宿りける
圓学

「きのふまで田ごとに映る更科の月ぞ稲葉の穂に宿りける」

判者評:

156
1
令和五年八月
秋風
秋立てど風吹かぬ日に
たよりなき月なき空にたづねてもそよとはいはで秋ぞ来にける
圓学
「月なき空」は新月の意であり、陰暦の七月朔日を表す。「たよりなき」は「頼りなき」、「便りなき」どちらとも取れ、また「そよ」は「そよ風の擬音」でもあり「そよ」という同意の心でもある。よって詞書のとおり、たよりなき空に「秋はまだですか?」と尋ねても、「そうです」とは言わないすなわち「そよ風も吹かず」に暦の上でだけ秋になったという歌。趣向が込んでいて面白い。※参考歌「いつしかと荻の葉むけのかたよりいそそとや秋とぞ風もきこゆる」

「たよりなき月なき空にたづねてもそよとはいはで秋ぞ来にける」

判者評:「月なき空」は新月の意であり、陰暦の七月朔日を表す。「たよりなき」は「頼りなき」、「便りなき」どちらとも取れ、また「そよ」は「そよ風の擬音」でもあり「そよ」という同意の心でもある。よって詞書のとおり、たよりなき空に「秋はまだですか?」と尋ねても、「そうです」とは言わないすなわち「そよ風も吹かず」に暦の上でだけ秋になったという歌。趣向が込んでいて面白い。※参考歌「いつしかと荻の葉むけのかたよりいそそとや秋とぞ風もきこゆる」

176
1
令和五年七月
夏越祓
夏のをはりの歌とて
茅の輪をくぐればめぐる折節の風におどろく夏の暮れかな
圓学

「茅の輪をくぐればめぐる折節の風におどろく夏の暮れかな」

判者評:

215
1
令和五年六月
五月雨
五月雨の雲の切れ間の夕暮れにふたたびにほふ紫陽花の花
圓学

221
1
令和五年五月
早苗
早乙女の絶えて久しき山の田にうちそふ声はほととぎすかな
圓学

「早乙女の絶えて久しき山の田にうちそふ声はほととぎすかな」

判者評:

228
1
令和五年五月
夢の間にふたばあふひを結ぶともかれぬる野辺の草ぞ露けき
圓学
愛しい人に夢で再開できても、現実の逢瀬はかれたまま。式子内親王の「忘れめや葵を草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの」の本歌取り。式子の歌は夏歌で幸福感を得られるが、こちらは恋の匂い強くしかも「逢わざる恋」の歌である。「ふたばあふひ」に賀茂の「双葉葵」と「二ば逢ふ日」(強引だが)を掛けるか、また「枯れる」と「離れる」が掛かるが、初夏に草が枯れるのは合わない、「露けき」も秋にふさわしい風景。なんとしても式子内親王の歌を本歌取りしようという意気込みは感じる。

「夢の間にふたばあふひを結ぶともかれぬる野辺の草ぞ露けき」

判者評:愛しい人に夢で再開できても、現実の逢瀬はかれたまま。式子内親王の「忘れめや葵を草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの」の本歌取り。式子の歌は夏歌で幸福感を得られるが、こちらは恋の匂い強くしかも「逢わざる恋」の歌である。「ふたばあふひ」に賀茂の「双葉葵」と「二ば逢ふ日」(強引だが)を掛けるか、また「枯れる」と「離れる」が掛かるが、初夏に草が枯れるのは合わない、「露けき」も秋にふさわしい風景。なんとしても式子内親王の歌を本歌取りしようという意気込みは感じる。

253
1
令和五年四月
暮春
枯れてなほ見ずとは言はじハナミズキ今日やかぎりの色と思へば
圓学
枯れてもなお見続けよう、今日が春の最後の日なので。伝統的な景物ではない「ハナミズキ」だが「見ず」と掛詞的用法で用いられいる。挑戦的だが、詞の心が調和したユニークな一首

271
1
令和五年三月
桜花たづねて来れば中空の果てこそ知らね白雲の道
圓学

276
1
令和五年三月
四年ぶりの花見宴にて
五つ衣あはせの色にまさるかな四年の春を重ねし花は
圓学
五つ衣とは平安女性の装束で、宴席にいる女性を見立てるか。その色にまさる四年ぶりの桜は、ということでコロナ禍がようやく終息した、ひさしぶりの花見に感動した歌。五と四の言葉遊びも見どころとなっており、心と詞がうまく止揚された歌

「五つ衣あはせの色にまさるかな四年の春を重ねし花は」

判者評:五つ衣とは平安女性の装束で、宴席にいる女性を見立てるか。その色にまさる四年ぶりの桜は、ということでコロナ禍がようやく終息した、ひさしぶりの花見に感動した歌。五と四の言葉遊びも見どころとなっており、心と詞がうまく止揚された歌

290
1
令和五年二月
垂れる梅を見て
うらうらと春日にし垂るひさかたの天ぞ引きける花の白糸
圓学

291
1
令和五年二月
天満宮の紅梅をみて
人恋ふておつる涙はくれないの梅がえに降る春ぞ冷たき
圓学

309
1
令和五年二月
立春
春くれば汀のこほりとけそめて人に知られぬ白波ぞ立つ
圓学
立春詠において、「春」にいかなるものを「立つ」とするかに歌人の工夫があるが、ここでは池の汀の波が立つとしている。沖の雄大な白波ではなく池の面に見える小さな波であるから「人に知られぬ」なのだろう。小さい春見つけた、という感じだ。

「春くれば汀のこほりとけそめて人に知られぬ白波ぞ立つ」

判者評:立春詠において、「春」にいかなるものを「立つ」とするかに歌人の工夫があるが、ここでは池の汀の波が立つとしている。沖の雄大な白波ではなく池の面に見える小さな波であるから「人に知られぬ」なのだろう。小さい春見つけた、という感じだ。

316
1
令和五年一月
晩冬
薄氷見はてぬ夢は砕けても空には高く月ぞありける
圓学

328
1
令和五年一月
晩冬
おともせで結ぶ氷はありあけの見せばや袖に消えぬ面影
圓学
「ありあけ」を掛詞として上下を繋ぐ恋の歌である。一見技巧がさえて見えるが、「音もせで結ぶ氷」で「むせび泣き」を描き、「袖に消えぬ面影」で忘れられぬ恋の恨みを吐く、すさんだ風景と心象がみごとに合わさった一首である。

「おともせで結ぶ氷はありあけの見せばや袖に消えぬ面影」

判者評:「ありあけ」を掛詞として上下を繋ぐ恋の歌である。一見技巧がさえて見えるが、「音もせで結ぶ氷」で「むせび泣き」を描き、「袖に消えぬ面影」で忘れられぬ恋の恨みを吐く、すさんだ風景と心象がみごとに合わさった一首である。

334
1
令和四年十二月
夕されば間なく時なくふる雪にみちは絶へても思ひつもれり
圓学

「夕されば間なく時なくふる雪にみちは絶へても思ひつもれり」

判者評:

345
1
令和四年十二月
きのふまで垣根にありし山茶花のあとを訪ねて初雪ぞふる
圓学
冬の花山茶花と初雪の取り合わせ、山茶花には赤色もあるがここでは白で間違いない。平凡な風景とも言えるが、色の取り合わせと雪の擬人化によって美しい初冬の歌に仕立てられている。

366
1
令和四年十一月
初冬
赤き羽開きては鳴くラッセルの今か今かと雪を待つらむ
圓学
「ラッセル」鳥ではなく除雪車、「赤き羽」は雪を押し出すウイング。冬の訪れを告げる「ラッセルの試運転」の様子をおもしろく和歌に仕立てている。

373
1
令和四年十月
晩秋
ふけぬれば草葉の虫もうち濡れていまぞかぎりの音をあはすなり
圓学

「ふけぬれば草葉の虫もうち濡れていまぞかぎりの音をあはすなり」

判者評:

383
1
令和四年十月
晩秋
秋風にいづくともなく露おちて別れの色に身をやつしけり
圓学
「秋風」「露」「別れ」「色」から定家の「しろたへの袖のわかれに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く」を踏まえていることが分かる。定家の歌は「恋」だが、この歌の主題は「恋」とも「四季」とも、また主体を「紅葉」とも「人」とも置き換えられて多義性がある。歌を独立してみた場合に下句は意味薄弱だが、本歌のおかげで多様な効能を得ている。

「秋風にいづくともなく露おちて別れの色に身をやつしけり」

判者評:「秋風」「露」「別れ」「色」から定家の「しろたへの袖のわかれに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く」を踏まえていることが分かる。定家の歌は「恋」だが、この歌の主題は「恋」とも「四季」とも、また主体を「紅葉」とも「人」とも置き換えられて多義性がある。歌を独立してみた場合に下句は意味薄弱だが、本歌のおかげで多様な効能を得ている。

399
1
令和四年九月
仲秋
面影のなほとほざかる秋の夜は澄みわたれども心曇れり
圓学
月影を昔の人のまさに「面影」として見る、それは遠ざかっていくが止める手段はない。空は澄み渡るように晴れていても、一方で心は涙で曇る。秋の情景と心情が美しく重なりあった恋の歌。

「面影のなほとほざかる秋の夜は澄みわたれども心曇れり」

判者評:月影を昔の人のまさに「面影」として見る、それは遠ざかっていくが止める手段はない。空は澄み渡るように晴れていても、一方で心は涙で曇る。秋の情景と心情が美しく重なりあった恋の歌。

400
1
令和四年九月
仲秋
盃をかはす言葉は少なくて月をながめむ友ぞともしき
圓学
「月下独酌」の雰囲気の歌。「かはす」が盃と言葉に掛かっていて、また「友」と「ともし(慕わしい)」が掛かっている。「盃」も「月」と掛かっているので、遊び心が十分にあらわされた風狂な歌。

「盃をかはす言葉は少なくて月をながめむ友ぞともしき」

判者評:「月下独酌」の雰囲気の歌。「かはす」が盃と言葉に掛かっていて、また「友」と「ともし(慕わしい)」が掛かっている。「盃」も「月」と掛かっているので、遊び心が十分にあらわされた風狂な歌。

406
1
令和四年八月
初秋
あきつ羽ころもの裾を吹きかえしうらがなしくも渡る秋風
圓学
「あきつ」は「蜻蛉(とんぽ)」で衣の枕詞的用法となる。「裾」「うら」は衣の縁語であり、平安和歌ではあまり詠まれない「あきつ」と「秋風」の風景を技巧を交え上手く詠み込んだ。

「あきつ羽ころもの裾を吹きかえしうらがなしくも渡る秋風」

判者評:「あきつ」は「蜻蛉(とんぽ)」で衣の枕詞的用法となる。「裾」「うら」は衣の縁語であり、平安和歌ではあまり詠まれない「あきつ」と「秋風」の風景を技巧を交え上手く詠み込んだ。

412
1
令和四年八月
初秋
紙漉きの雲のはたてに見えそむる雁のゆくへは何処ともなし
圓学
「紙漉きの雲」とは秋の「すじ雲(巻雲)」の見立てだろう。おそらくここに「たまずさ(手紙)」の想起を狙っている。それを携えた雁は何処へゆくのだろう、わたしのところへ来てほしいな。という古典的な和歌世界が詠まれている。悪くないが、「たまずさ」と言わずに「手紙」を想起させることが出来るかがポイントになる。

「紙漉きの雲のはたてに見えそむる雁のゆくへは何処ともなし」

判者評:「紙漉きの雲」とは秋の「すじ雲(巻雲)」の見立てだろう。おそらくここに「たまずさ(手紙)」の想起を狙っている。それを携えた雁は何処へゆくのだろう、わたしのところへ来てほしいな。という古典的な和歌世界が詠まれている。悪くないが、「たまずさ」と言わずに「手紙」を想起させることが出来るかがポイントになる。

433
1
令和四年七月
盛夏
さらさらと野川の水にさりてゆく夏のカラーはシャツよりも白
圓学
「カラー」はサトイモ科の花。「襟」に掛かっており、「さる=晒る(さらす)」と「シャツ」はいわば縁語。野川にさらされたカラーの花は、シャツよりも白いという言葉遊びからなる歌。「さらさらと」と「さりて」というリズムもいい。

「さらさらと野川の水にさりてゆく夏のカラーはシャツよりも白」

判者評:「カラー」はサトイモ科の花。「襟」に掛かっており、「さる=晒る(さらす)」と「シャツ」はいわば縁語。野川にさらされたカラーの花は、シャツよりも白いという言葉遊びからなる歌。「さらさらと」と「さりて」というリズムもいい。

434
1
令和四年七月
盛夏
繋ぐ手にかよふ思ひを隠さなむ空にとどろく大輪の花
圓学
若干想像力を働かせる必要があるが、初々しき恋人同士が手を繋いで、汗や心臓の音などで気持ちが伝わって溢れる気持ちがばれないように、ごまかしてくれ夜の花火よ、といったところか。「大輪の花」が恋の歓喜を象徴しているよう。夏、夜、花火といったら青春の恋といういことで、甘酸っぱいユニークな歌だ。

「繋ぐ手にかよふ思ひを隠さなむ空にとどろく大輪の花」

判者評:若干想像力を働かせる必要があるが、初々しき恋人同士が手を繋いで、汗や心臓の音などで気持ちが伝わって溢れる気持ちがばれないように、ごまかしてくれ夜の花火よ、といったところか。「大輪の花」が恋の歓喜を象徴しているよう。夏、夜、花火といったら青春の恋といういことで、甘酸っぱいユニークな歌だ。

446
1
令和四年六月
降りやまぬ雨のうちにぞ聴きわかむ絶へてひさしき君が足おと
圓学
哀切感のある歌。身を知る雨が降り止まないなか、必死に待ち人の訪れを待つ女。しかし男は来ない。物語が想像できる良い歌。

447
1
令和四年六月
紫陽花のあぢきなき身になりぬらし身を知る雨のふりしまされる
圓学
平安和歌では詠まれない紫陽花と雨が詠まれて、モダンな取り合わせとなっている。もし平安歌人が紫陽花を詠んだのなら、このような感じだろうなと思わせてくれる。「身を知る雨」がわかりやすさを助けている。

460
1
令和四年五月
立夏
いつの間に恋は昔となりぬらむ草いちご咲く夏は来にけり
圓学
「草いちご」という名に、甘酸っぱい昔の恋を思い出す。もういちど老いらくの恋を始めようか、というような歌。おもしろい。

461
1
令和四年五月
立夏
道のべの見知らぬ花のいろいろに変はりてけりな人の衣も
圓学
夏のいわゆる雑草がいろいろに咲くように、人の衣も夏草のようにとりどりに変わってきた。更衣の歌であるが、解釈に難しいところがなくわかりやすい

477
1
令和四年四月
三月尽
立ち返るよるべなぎさの藤波やうつろふ色に春も去ぬべし
圓学
『波』が歌のカギとなっている、つまり縁語。立つ、返る、寄る、そこから寄る辺のない花の虚しさ、往く春の無常感がうまく連携している秀句。

478
1
令和四年四月
三月尽
さくら花散りにしのちの春風に人目を避きて揺れる木蓮
圓学
花という春の王様が去った後、人知れず咲いた木蓮の花。隠者の風情、着眼点がいい。このように桜以外の春の花も積極的に詠みたい

492
1
令和四年三月
春興
初瀬山とめくる人も春めいて袖なつかしき花の香ぞする
圓学
春の初瀬参りとは、貫之を踏まえるか。袖に梅の移り香がして、春を知る。風流な春の名所の風景。 

「初瀬山とめくる人も春めいて袖なつかしき花の香ぞする」

判者評:春の初瀬参りとは、貫之を踏まえるか。袖に梅の移り香がして、春を知る。風流な春の名所の風景。 

493
1
令和四年三月
春興
朝まだき障子をとほる春風のかはる匂ひに花ぞ咲くらむ
圓学
春風の変る匂いで花を知る。ここまでは常套的だが、朝の陽ざしまでも春を感じられる。障子に個性が宿る。

507
1
令和四年二月
立春
風まぜに匂ひつるかな蝋梅の花に遅れて春は来にけり
圓学
蝋梅は1月に咲き始める。先に蝋梅の匂いがして、そのあとに本格的な春が来た、ということ。蝋梅の見事さを立てた歌。

508
1
令和四年二月
立春
春来れば雪解け水の下る瀬にその色となく上る白魚
圓学
春先に産卵のために川に上る、春を告げる魚でありその漁は風物となる。冬と春が川の瀬で交換するというおもしろいがある

518
1
令和四年一月
冬、年明く
春くれば雪のしらべもあらたまり松も千歳の色まさりけり
圓学
典型的な初春の歌だが、「雪の調べがあらたまる」というところに見どころがある

519
1
令和四年一月
冬、年明く
冬されば人恋しくもなりにけりポインセチアの色に焦がれて
圓学
花の色に恋心をみるのは常套句だが、それがポインセチアなのが面白い。クリスマスが最適な時候か。

520
1
令和四年一月
冬、年明く
霜こほる袖の光のさやけさは夜空に降れる星の白雪
圓学
新古今調の冬の夜の一人寝、「夜空に降れる星の白雪」という風景も日本語も美しい

「霜こほる袖の光のさやけさは夜空に降れる星の白雪」

判者評:新古今調の冬の夜の一人寝、「夜空に降れる星の白雪」という風景も日本語も美しい

530
1
令和三年十二月
立冬
あゆみ行く足の音さへかはるなり霜柱立つ冬ぞ来にける
圓学
付く霜ではなく、踏む霜。現実的な風景、ただごと歌。結句「〇は来にけり」は使いやすい常套句。

「あゆみ行く足の音さへかはるなり霜柱立つ冬ぞ来にける」

判者評:付く霜ではなく、踏む霜。現実的な風景、ただごと歌。結句「〇は来にけり」は使いやすい常套句。

531
1
令和三年十二月
立冬
山茶花(さざんか)を詠める
冬さればつぎて降らなむ白雪の色にまぎるる紅の花
圓学
「雪」の型を踏まえている。降らなむが雪と山茶花に掛かっていて面白く、美しくもある

541
1
令和三年十一月
九月尽
コスモスの色の朝もや萌え出づる春より春になりにけるかも
圓学
コスモス(秋桜)をもじったか。秋なのに春より春とは面白い。「朝もや萌え出づる」がきびしいか。

542
1
令和三年十一月
九月尽
うちむれてていろは紅葉の散りぬるを我が身ばかりか踏み惑ひける
圓学
『いろは歌』をもじった歌。紅葉はうちむれて(群れて=仲間)と散るのに、私ばかりは一人(悟りも開けず)迷っているということか。もじりが強く、意味がわかりづらい。

552
1
令和三年十月
秋の風景
彼岸花にほふ山辺をながむればかたじけなくも落つる夕暮れ
圓学
西行を彷彿とさせる浄土観がうかがえる秋の夕暮れの情景、彼岸花が印象的

553
1
令和三年十月
秋の風景
心なき秋の風には見えざらむ木末にあえぐ萩の一片
圓学
秋風のつれなさ、「心なき」の知られた文句から情趣を知らない秋風を描く、移ろいゆく見事な秋の情景

559
1
令和三年九月
初秋
雨続くころも待つかな片敷きの宿でなき濡れ我れきりぎりす
圓学

563
1
令和三年九月
初秋
しぐれてはかはらぬ朝の色ゆえに絶えで降るなり松虫の音
圓学

569
1
令和三年八月
つくづくと法師の声ぞ説きたまふつらき中にも秋はみえけり
圓学

572
1
令和三年八月
七夕
うちしめて恋の行方は見えねども逢ひにし後の涙か雨は
圓学

578
1
令和三年七月
君が乗る舟と思へば後を追ふ浪の跡さえ消えがてにする
圓学

「君が乗る舟と思へば後を追ふ浪の跡さえ消えがてにする」

判者評:

581
1
令和三年七月
夏や来ぬ問わずかたりの声だにもそよと鳴るなり鈴掛の実
圓学

584
1
令和三年七月
若人よ荒き波風越えてゆけ小舟の綱は今ぞ解かるる
圓学

jaJapanese