高校必修科目に古典は必要である「和歌所的」理由

先日興味深いブログ記事を見つけました。タイトルは『「高校必修科目に古典は必要か」あなたはどう思う?』です。去る2019年1月に明星大学人文学部日本文学科が主催した「古典は本当に必要なのか?」というシンポジウムの討論内容を考察されています。

→『「高校必修科目に古典は必要か」あなたはどう思う?』  

シンポジウムで古典否定派は「高校生の時間は有限、国語は企画書や議論など論理国語を学ぶべき」、「古典の代わりに論説のまとめ方、ビジネスメールや論文の書き方などリテラシーを教えるべき」と主張、対する肯定派は「古典とは主体的に幸せに生きる智恵を授けるもの」と、抽象的な心もとない反論で終了後のアンケートでも古典否定派の圧倒的勝利であったようです。

さて、最近の文系学部不要論もそうですが、古典否定の根源には古典が現代においてまったく「実用を成さない」という理解があります。だからそんなもん勉強したって時間の無駄、「グローバル化」、「IT化」が進展する現代ではもっともらしい理由ですよね。

私も古典教養が誰にも必要などとはつゆ思わなかったのですが、最近では考えが変わり、古典は必須で学ぶべき価値があると真面目に思っています。なぜなら古典こそ、実用性に富んだ教養であると考えるからです。大学の先生方とは真逆の考えですね、、

私たち「和歌所」では定期的に「歌会」を開催しています。ここでは老若男女さまざまな方にご参加頂いておりますが、たとえ初対面の方同士でもいきなり会話が弾む、なぜか? それは「古典」が見知らぬ人間の紐帯となっているのです。百人一首や源氏物語、和歌に連歌、俳諧等々。座の真ん中に古典さえあれば性別、世代、職業なんてお構いなく会話が盛り上がってしまう、そんなものすごい便利ツールが高校で学んだあの古典なのです。

これはスポーツや音楽に似ています。例えば同じチームやアーティストのファン同士ならすぐに親しくなれるというような。しかし「グローバル化」、「IT化」です。eスポーツなどは私たち中年が想像及ばないくらい発展しています、そしてこの現象は近い将来の世代間ギャップに必ずなる、現代はそんな時代なのです。

ですからむしろ一千年以上の歴史を蓄えた「古典」の方が、老若男女をしなやかに結び付ける、ある意味最強のツールであるのです。振り返れば江戸、明治の文人たちはなべて古典教養に長けていましたが、これは自らの知識向上のためというより、大人同士のコミュニケーションを手伝い活性化する目的が多分にあったと思います。

というわけでみなさん、ぜひもっと古典を学びましょう。そして和歌所で古典ファンと交流してみてください。古典学習の実用を身に染みて理解できるはずです。

(書き手:和歌DJうっちー)

※思えばあの授業がよくない、退屈でつまらなさの権現と化した古文の授業が! 私なら高校古文を爆笑エンターテインメントに変えてみせるのだが…