実況! 六百番歌合「余寒 四番」~俊成の公平中立~

時は建久五年(1194年)、左大将良経主催による歴史歴な歌合せが行われた。世にいう「六百番歌合」である。これはその模様を和歌DJうっちーの解説のもと、面白おかしく実況しようという試みである。

実況:DJうっちー、次は?
DJ:では題を進めて「余寒」から四番を鑑賞しましょう。ちなみに余寒とは立春の後になおも残る寒さのことです。

講師:
左 定家
「霞やらずなほ降る雪に空閉じて春もの深き埋み火のもと」
右 隆信
「霞敷く今朝さへさゆる袂かな雪降る年や身につもるらむ」

右の方人:「埋み火のもと」とはあまり聞いたことがないが、この歌の風情には悪くないな、うむ。
左の方人:とくに指摘するような問題はない。

実況:あれ、なんだか肩透かしの物言いですね。左右ともに争うところがまったくありません。
DJ:ですね、なんでだと思います?
実況:単純にいい歌だったんじゃないですか?
DJ:ほっほっほ、分かってませんねぇ~
実況:ええっ、ちがうんですか!?
DJ:左右の詠み人を見てください。
実況:左が定家、右が隆信ですね…
実況:おお!
DJ:わかりました?
実況:左右ともに御子左家の人間じゃないですか!!
DJ:ご名答! この歌合ですが、やはり御子左家と六条家の対決という側面が確かにあるのです。ですから身内同士の番はおのずと甘くなる…

実況:そういえば、判者俊成も御子左家の人間ですよね。こういう場合どうゆう評価をするんでしょう?
DJ:気になりますよね、さっそく見てみましょう。

判者:右方の言い分であるが… なんかわしを差しおいて判者みたいじゃな。これ以上なんも言わんけど調子のんなよ。
判者:んで左の歌だが、「空閉じて」ってのはあまりにも大げさな表現だと思うがなぁ。
判者:右の歌は「霞敷く」などと言っているが、意味的には「霞立つ」と同じであろう。小賢しくカッコつると、よけいダサいからやめとけ。それに下の句もよくない、「身に積もる」なんて年暮の心じゃろう。よって左の勝ちじゃ!

実況:なるほど、さすが俊成ですね。お互いに遠慮して「持」にすることなく左を勝にしました。
DJ:ですね。なんども言いますがこの六百番歌合が伝説的な歌合であるのは俊成が素晴らしい仕事をしたからです。あくまでも公平中立に、真の歌を追求する姿勢が絶賛されたのです。仮に依怙贔屓の判じに終始していたら後世に評価されることはなかったと思います。

DJ:ちなみにここで面白いのが定家の歌の評価です。「空閉じて」なんてのは個人的に新古今につながる綺語表現だと思うのですが、俊成はそれをまったく評価していないのです。
DJ:俊成は新古今成立の前年には亡くなっていますが、息子らの新風をどう思っていたのでしょうね?

実況:いや~、今回も面白かったです!

(つづく)

「実況! 伝説の対決 六百番歌合」一覧

(書き手・解説:和歌DJうっちー)

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