あかね歌会 令和五年十月「初恋」※判者評付

令和和歌所では、いにしえの和歌を継承し令和の世にふさわしい「歌集」を編むことを目指しています。二十三代の集に採られた歌は除きますが、空飛ぶ鳥が網を漏るように、水に住む魚が釣針を逃れるように… 撰集に漏れた優れた歌を集め、わたしたちが詠んだ令和の和歌と合わせて、あたらしい和歌のアンソロジーをつります。
「蒐(あかね)歌会」はそのための研鑽そして歌を集める場です。題を設け、月に一度のペースで歌を詠みあい批評を行っています。ぜひみなさま、奮ってご参加ください。

和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう!「歌塾」
和歌を詠みあい、評し、継承する「蒐(あかね)歌会」

令和五年十月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。

判者詠草

北山の四方に匂へる桜よりほのみえそむる草ぞこひしき(圓学)
秋霧にほのかに見ゆる月かげも人もあはれと思ひそめけり(摂津)
あひみてののちのこころにしろたへの雪ふりやまず君よ踏まなむ(木喬)

みなさまの詠草

「人知れず色づきそめし萩の葉の露にぬれつつ人思ひたり」

判者評:人知れず色づきはじめた萩の葉の上に置く、露に濡れつつ人を思っている。萩の葉が人知れず色に染まるのを初恋に重ねた、秋の風情が抜群にうつくしい恋歌である。ちなみに色づくのは葉ではなく花の方ではないかと思うのだが、古今集に「秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする」とある。ただ下句によって上の句の風情が半端になってしまった。個人的には「色染む」と「露に濡れて思ふ」はどちらかにしたい。よって「秋されば萩の下葉の人知れず色づきそむる恋をするかな」。

「ゆくりなくはつかに見えし面影を慕ふ心ぞ月や知るらむ」

判者評:偶然にもわずかに見えた面影、それを慕う心を月は知っているのだろうか。垣間見えた女性を月に喩える風情ある一首である。状況を説明する「ゆくりなく」と「はつか」はどちらかに、「面影」と「月」も意味で重なるため言葉を選びたい。また結句を「月や知るらむ」としたことで、意味が複雑になっている。「垣間見」と「相手の心を探る」心情はどちらかに絞ってはどうか。すなわち単純化して、「ひさかたの雲居はるかに漏れ出づる影を見しより恋ぞわたれる」とか。

「しるべなき道とはかねてききしかど思ひ初めにき夢の浮橋」

判者評:案内のない道とは聞いていたが、思い始めてしまった、夢の浮橋を。恋の行方を「夢の浮橋」にたとえた余情深い歌。ただ「夢の浮橋」に頼りすぎている感もあるし、おそらく単純には意味がとおらない。ここは素直に下句を「心さだめて恋ぞわたらむ」とか。(道とわたるは縁語)

「なるみ潟に白波たちてしほ貝のこがる思ひは波もこえなむ」

判者評:鳴海潟に白波が立っている、しお貝の恋する思いは波をこえることだろう。「鳴海潟」は愛知県名古屋市の歌枕、多くは「〇〇になる」の掛詞で用いられた。「しほ貝」からそのまま「こがる」を導くのは難しく、「焼く」という手順が必要だろう。「白波」と「波」の重複を解消したい。よって「鳴海潟浜で焼かるるしほ貝の焦がる思ひは波もこえなむ」。

「今よりは思ひ染川たぎつ瀬につくしはつべき身ともこそなれ」

判者評:今からは思いを染めよう、染川の激流に身をつくしはてても。「染川」は太宰府の歌枕、ここでは「尽くし」と「筑紫」が掛けられている。古歌の知見が高く、また構成も抜群で、手練れの人の一首である。

「ゆく先の見えぬ思ひの川なれど逢ふ瀬のあらば流れてしがな」

判者評:ゆく先の見えない思いの川だけど、もし逢瀬があれば流れていきましょう。逢瀬から連想を広げ、ゆく先の見えない恋を川に喩えた巧みな歌。小野小町と文屋康秀の贈答に「わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」があり、「逢瀬のあれば流れてしがな」は女の心ともいえる。なので「逢瀬をたのみ流れゆくかな」となどしたい。

「かくなむと漏れたる声の秋風になりてぞ君の袖をひくらむ」

判者評:このようにと、漏れている声の秋風になって、君の袖を引くのだろう。題にそって理解すれば、「秋風になってあなたの興味を引きたい」ということだろうか。だとすればこのように直してみてはどうか「かくなれば我がことのはを吹きそえて風もろともに君に伝えむ」。

「老いらくの来むと知りつつ花の香に思ひ惑ふも人の性なり」

判者評:老いが来るとは知りつつも、人を恋し思い悩むのは人の性なのだなあ。中年の初恋という着眼が見事で、これは現実でもある。新しい恋は若者の特権ではない。「性(さが)」は単純に「こころ」としてはどうか、またすでに「老いた身」として詠んでも面白い、すなわち「老いてなほ花の色香にまどひけるかはらぬものは人の心ぞ」。

「なにとなく落つる涙の初しぐれ行方さだめぬこひの埋火」

判者評:なんとなしに涙は初時雨のよう、行方の定かならない恋の埋火であることよ。「初時雨」、「埋火」と晩秋~冬にかけての物寂しい言葉で構成されているが、一首の筋が通っていないように思う、どちらかに集中してたとえば「なにとなくおつる涙の初時雨降らせる雲はいづじゆくらむ」。

「吹く風にきくの白つゆ下照るを消ぬべき恋のしるしとぞ思ふ」

判者評:吹いてくる風に菊の白露が光っているのを、消えるであろう恋のしるしと思う。複雑に構成された一首である。いまは下照る白露であるが風が吹いてきて、それはやがて消えるであろう、という儚さすなわち初恋でありながら破綻を予感するという悲劇が歌われている。

「秋山に妻問ふ鹿は見ぬ人を焦がるる我と同じ心か」

判者評:秋の奥山にて、女鹿を求め彷徨う鹿に我が身を重ねる。古典的な情景で構成された巧みな一首。「初恋」の心が弱いか。

「心染む人にとづけと香たけどをりふしくだる雨濡らす袖」

判者評:こころを染める人に届けと香を焚いても(届かないようで)季節で降ってくる雨に袖が濡れています。「香に思いを託すも、叶わず雨に濡れる」という作者の独創性が光る一首、このような斬新な挑戦はぜひ続けたい。一方で、「とづけ」「をりふし」「くだる」などは歌にあまり見られない言葉である。「心染む人」も言葉を凝縮させすぎな感じがある。たとえば「思ひこめわが焚く香のけぶりさへかき消す雨に袖は濡れけり」。

「小倉山日に異に染まるもみじ葉の思ひをいかに伝ふべきにや」

判者評:小倉山が日にとくに染まるもみじ葉のような思いをどのようにして伝えるべきなのか。恋心を小倉山の紅葉の色に喩た風情あふれる一首。趣向は見事なので、言葉を整えたい、たとえば「小倉山日ごとに染まるもみぢ葉のこころのうちをいかにかすべき」。

「目にみえぬ風の色さへみゆるかな心に深く思ひそむれば」

判者評:本来目には見えない風に色までも見える、心ふかく思いはじめれば。恋心の深さを、色が濃くなってゆく草花になぞらえるのは1が10になることだとすれば、目に見えない風に色がでるとは0が1なるようなものである。つまりこちらの方が思いがけなさが際立っている。ただ「風の色(恋心)」が見えるのは相手の方ではないだろうか、つまり「目に見えぬ風に色さへ出でにけり」として忍恋としたほうが適切に思える。

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