「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当」第三回 和歌革新の契機

公家の手のうちのものとなって、今まさに滅びてしまおうとしていた和歌は、江戸時代に甦ります。それは誰あろう、武士という新階級の手によるものでした。
甦ったというのは和歌に新しい解釈を加え、新しい標準を立てて、これを新しい意味に変えたということです。新しい解釈、新しい標準とは、技巧の末に走ってしまったものを自然に帰らせたということです、道の脇の狭い方へと向かって行き詰まってしまったものを、大道の見えるはじめの一步へ引き戻したということです。

自然といい、はじめの一歩ということは結局“自己”ということです。抒情詩の世界では自己が一切です、そして自己とは自然のなかの自然です。何ものも変化する力を失った時には滅びてしまいますが抒情詩とて同樣、しかし抒情詩のそれは抒情詩そのものの変化ではありません。それを生みだすところの自己の変化です。抒情詩においては自己にはじめの一歩があるとともにそれが目的地なのです。ようするに抒情詩とは自己を離れては成立しえないといういこと、そして自己を信じる力が強い時は抒情詩の盛んな時、その弱い時が衰えた時となるのです。

鎌倉時代から江戸時代の初期にまでかけての和歌は、当然に衰えるべきさまざまの事情があって衰えた。結局彼ら堂上の歌人には自己を信じる力がなかった、そのために和歌は衰えたのです。

江戸の武士は新興の権力階級でした。自己を信じ、自己の力をあてにする心に燃えている。そこに好学の精神が起り文芸にたいする本能が目覚めてきて、そちらの方面に自己をほしいままにしようとした。くわえて成り上りものの持つ下剋上の気分がこれを煽っている。彼らは堂上家の和歌を自分らのものにしようと手をのばした、そして権威ありと見てきたものは、ほとんど価値のない偶像に過ぎなかったことを直ちに悟った。好学の精神から学び得たさまざまな学問は、この彼らの悟りをいっそう裏付け、彼らとしては当然すべきこととして、和歌の革新をはじめたのです。

これを周囲との関係からみると、漢学はとっくの昔にそのことをなし遂げていました。俳諧、小說など和歌にくらべると低級だと思われていたものも、すべて同じくそのことをなし遂げていました。立ち遅れたのは和歌だけであって、この立ち遅れたのは和歌は文芸の他のものにくらべると伝統やら貫禄があって、迂闊には手を着け難いものに見えたのだと思われます。しかし大勢はすでそうなっていて和歌だけが大勢の外にいられるはずもない。和歌の革新は、まことに当然すべきことが起こったにすぎなかったのです。【つづく】

(書き手:歌僧 内田圓学)

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