「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当」第十回 香川景樹の歌

景樹の歌集「桂園一枝」は、従来例のなかったまでに批評の多かった歌集です。当時は出版の手数の多く費用のかかる時代のことで、公表しようとすると板行にしなくてはなりませんが、これはとても容易なことではありませんでした。それにも関わらず「桂園一枝」は公表され、これを悪評するものと擁護するのと、多くの反響があったのです。これを悪く言うものは、その清新は認めつつ、古典に離れることが多いところを問題としました。一方で擁護するのは、そこに特色がありとするのでした。

景樹の歌の特色は、ずばり「清新」です。盧庵の影響をうけて言うところの「ただごと歌」を詠んでいて、景樹自身も歌は「第一印象」を詠むべきものだと言っていますから、彼が清新な趣を持つのはいわば当然のことでしょう。
しかし、たんに清新とい点からいうと、景樹の歌は必ずしも盧庵にくらべて優っているとはいえません。論としては第一印象を言うのですが、今日から見ると、相応に古典の影響をうけたものなのです。それに題歌の歌が多いので、それとしては清新ではありますが、題を離して見ると、たぶんに“古典臭”のあるものでした。

清新という点からは必ずしも優れたものばかりではありませんが、しかし景樹の歌には盧庵にないところの魅力があるのもまた事実です。それは、第一は鋭さです。この鋭さをこれを彼自身に言わせると、その「誠」のいたすところと言うかもしれません。あるいは彼の持つた自信、または覇気かも知れませんが、いずれにしても一種の鋭さがあって、それが彼の歌の魅力となっています。第二には才気、彼は明敏な頭脳の持ち主だと思わせる自在さと行き届いたところがあって、いうなれば才気から生じる“さわやかさ”がこれがまた魅力で、この魅力は盧庵にはないものです。

最後に、わずかばかりの景樹の歌を紹介して、この十編の論を閉じたいと思います。しかしこのわずかでも、香川景樹と「ただごと歌」の味わいは十分に味わうことができるでしょう。

「ゆけどゆけど限りなきまで面白し小松が原のおぼろ月夜は」(香川景樹)
「菜の花に蝶もたはれてねぶるらん猫間の里の春の夕ぐれ」(香川景樹)
「富士の嶺を木の間木の間にかへり見て松の蔭ふむ浮島が原」(香川景樹)
「紙屋川おぼろ月夜の薄墨にすきかへしたる浪の色かな」(香川景樹)
「双六の市場はいかに騒げとか降りこぼしける夕立の雨」(香川景樹)

(書き手:歌僧 内田圓学)

→「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当

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