実況! 六百番歌合「選手入場」~俊成立つ~

時は建久五年(1194年)、左大将良経主催による歴史歴な歌合せが行われた。世にいう「六百番歌合」である。これはその模様を和歌DJうっちーの解説のもと、面白おかしく実況しようという試みである。

実況:さてまず赤コーナーから入場するのは女房です。
DJ:ちょっといいですか?
実況:どうしました、解説の和歌DJうっちー。
DJ:プロレスではないので赤コーナーではく「左方」としてもらえますか、念のため。
実況:なるほどわかりました。遊び心がありませんね、DJは… 

実況:気を取り直して、まず入場してきた選手「女房」とありますが、男のようですね。これはなにか変装でもしているのでしょうか?
DJ:コホン… 女房とはこの歌合の主催者「藤原良経」その人です。偉い人というのはですね、このようにへりくだることで徳を得ているのです。

実況:ふーん、まあいいや。さて、ぞくぞくと入場してきます。藤原季経選手そして兼宗、有家、おおなんと若き日の定家選手も! そして最後は、なにやら迫力満点の坊主、顕昭選手です。今日のスターティングメンバーをご覧になっていかがですかDJ?
DJ:まずスポーツ実況風にするのはほどほどにお願いします。で、入場は階位の順になっています。偉い人の順ですね、最後は坊さんです。
DJ:注目すべきは藤原季経、彼は藤原顕輔の子供で兄の清輔亡き後、歌道の六条家をしょって立つ大人物です。この当時は定家なんて権威も実績もほとんどありません。

DJ:六百番歌合は一般的に、季経ら「六条家」と定家らの「御子左家」による歌による全面戦争だと言われますよね? しかし私はこの六百番をそのような単純な図式に捉えるのは間違っていると思います。確かにそのように受け取れる判じも散見されますが、基本的にこの歌合は藤原良経という若き天才歌人が企んだ、和歌という文芸の新たな道を探る壮大な実験であるのです。
実況:ふむふむ。

DJ:もうひとついいですか。六百番歌合の結果、御子左家が宮中歌道で優勢となり一気に新古今にまで繋がっていくように語る人も多いですが、これも間違っています。六百番歌合から新古今の成立にはいまだ十年以上の歳月を要し、この壮大な催しさえもひとつの通過点に過ぎないのです。定家が詠んだ歌をご覧ください、新古今の余情美なんてまだほとんど見受けられません。ひとり良経のみが、これの可能性に気づいていると言っていいでしょう。だからこそ良経はこの歌合を企画・主催したのです。まあ詳しいことは、これから各々の番と判じを見て語るとしましょう。
実況:長々としゃべりましたね。

実況:さて、次に現れたのは… おーっと青、もとい右方から藤原家房、経家、隆信、家隆、信定、寂蓮です!
実況:ん!? 家隆や寂連は御子左家の人ですよね? なぜ定家と同じ左方にいないのでしょうか?
DJ:はい、何回も言うようですがこの歌合は「六条家 VS 御子左家」ではありません。ですから左右に両家の歌人が入り乱れていますし、それ以外の歌人もいます。

DJ:もう少し詳しく説明しましょう。左方のうち六条家は藤原季経、有家、顕昭で御子左家は定家のみ。右方は六条家が藤原経家、御子左家が隆信、家隆、寂蓮です。いかがです? 六条家の方が総合的な戦闘力ならぬ位階が高いですね。
DJ:まあともかく、今後大事ですから左右それぞれの名前を覚えておいてください。

実況:最後に、リング中央で佇んでいるジジイじゃなくてレフリーですが…
DJ:判者の藤原俊成ですね、ちなみにこの時八十一歳です。
実況:かなりお年を召しておられるようですが大丈夫なんでしょうか?
DJ:いやいや、侮ってもらっては困ります。俊成はこの六年前に「千載和歌集」編纂の大役を成していますからね。歌壇でも地位も確立し、むしろこの時期こそ脂がのった円熟期ですよ。
実況:なるほど、例の「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」の名言もこの歌合でしたよね。

実況:さて、これにてついに六百番歌合の役者が揃いました。さっそく一番から対決を見ていきましょう。

つづく…

「実況! 伝説の対決 六百番歌合」一覧

(書き手・解説:和歌DJうっちー)

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