和歌と短歌はいずれも三十一文字(みそひともじ)の韻文、ですがその歌風は大きく異なります。というわけで今回は和歌と短歌における詠むべき心情、いうなれば「歌の心」の違いを学んでみましょう。
※ここでいう「短歌」とは、明治期に提唱された写実的な歌風を指します
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以下に和歌と短歌を合わせて十首、ランダムに並べてみました。いずれが和歌で短歌か判別してみましょう! ※歌人名はイニシャルにしています
(一)「君がため春の野に出て若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ」(K.K)
(二)「はたらけどはたらけど猶わがくらし 楽にならざりぢつと手を見る」(I.T)
(三)「武蔵野に秋風吹けば故郷の 新居の郡の芋(いも)をしぞ思ふ」(M.S)
(四)「紫のひともとゆゑに武蔵野の 草はみながらあはれとぞ見る」(Y.M)
(五)「夕立の雲もとまらぬ夏の日の 傾く山にひぐらしの声」(S.N)
(六)「ひぐらしの谷中の杜の下陰を 涼みどころと茶屋立てにけり」(M.S)
(七)「白妙の袖の別れに露おちて 身に染む色の秋風ぞふく」(F.T)
(八)「夕されば大根の葉に降る時雨 いたく寂しく降りにけるかも」(S.M)
(九)「柔肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君」(Y.A)
(十)「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」(O.K)
お分かり頂けたでしょうか? 多分それほど難しくなかったと思います。
短歌をどう定義するかにもよりますが、ここでは明治期に提唱された写実的な韻文をそれとしました。彼ら明治期の歌人は伝統的な和歌をぶっ潰すつもりで運動していましたから、上記に挙げた和歌と短歌の違いは、実は明白であって然るべきなのです。
で、回答はというと。
「和歌」は一(光孝天皇)、四(よみ人知らず)、五(式子内親王)、七(藤原定家)、十(小野小町)。
「短歌」は二(石川啄木)、三(正岡子規)、六(正岡子規)、八(斎藤茂吉)、九(与謝野晶子)です。
「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。」
歌詠みに与ふる書
古典和歌攻撃の急先鋒、正岡子規は「歌詠みに与ふる書」というのを度々執筆して、執拗に和歌を攻撃します。その中で子規は「写生」つまり見たままの現実を写し取ることを、歌の本意としました。
ですから(二)の「苦労にまみれた手」や(三)(六)(八)などのように食べ物に関するものを平気で歌に入れます。ようは自分自身の生活のありのままを「直接的」に表現するのです。
ちなみに(三)の「芋」には「妹」が掛けられているはずです。「妹」とは万葉集でよく見られる「妻」や「彼女」という意味、素直でおおらかな詠みぶりの「万葉集」を高く評価しユーモアに富む子規らしい歌ですね。
(九)は与謝野晶子の有名な恋歌、これは(十)の小野小町の歌とどう違うか? それは端的に「パッション!」です。「触れもみで」なんて積極的に誘うことは、「待つ女」を理想とする平安歌人は絶対詠みません。
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一方で子規にケチを付けられた紀貫之はこう記しています。
「世の中にある人ことわざしげきものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり」
古今和歌集(仮名序)
大切なのはこの一文「心に思ふことを見るもの聞くものにつける」です。つまり心情を自然に託くすということですね。和歌とはその名のとおり森羅万象に心を調和して、自らの気持ちを「間接的」に詠むことを理想としたのです。
さて和歌と短歌、どちらが優れているというものではありません。
しかし和歌には短歌にはない特別な感動があります。「もののあはれ」です。
雪月花、折々の自然から滲み立つ心の薫香。
この感動は物につけて婉曲に表現する和歌でしか得られません。
そしてもう一つ、和歌と短歌の違いに付け加えるとしたら、短歌は自分の内面を追求しともすれば自分語りに終始しがちな“閉鎖的”な文芸です。
一方の和歌はその字のごとく他者との交わり、調和を求めます。一首に様々な余韻を残し、返歌、唱和また付け合いを期待する“コミュニケーション重視”の文芸なのです。
今の現代短歌がつまらないのは、赤裸々な自分探しをやり尽くしてしまったから。詩歌を愛する多くの人に必要なのは、今こそ和歌の心ではないでしょうか。
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(書き手:和歌DJうっちー)