四十番「しのぶれど色に出にけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで」(平兼盛)
兼盛と次の忠見の歌がいわくつきだということは、多くの人が知ところでしょう。
この二首は「天徳内裏歌合」で番えられた歌です。天徳は村上天皇の御時、「後撰和歌集」の編纂を命じるなど和歌に造詣の深かった天皇は960年に歴史的な歌合せを催しました。ちなみに「歌合せ」は「寛平后宮歌合」など古今集時代にもありましたが、歌の出来を争うというものではほとんどありませんでした。その様子が変わってきたのが後撰集時代で、判者、講師、方人といった面子をそろえた「天徳内裏歌合」は本格的なバトルフィールドとしての歌合せの先がけであったのです。
この歌合戦の参加歌人といえば中納言朝忠をはじめ源順や大中臣能宣、清原元輔などいわゆる「梨壺の五人」までが名を連ね、およそ当時屈指のビッグマッチであったことがわかります。そんな中で壬生忠見は四首、平兼盛はなんと十一首も歌が採られており、互いが相当の実力者でありました。
百人一首歌はその最終二十番目で番えられたものですが、それまですでに二人の歌は二番合わせられともに一勝一敗の互角、つまり百人一首歌の対決は著名歌人同士が威信をかけた“絶対に負けられない”最終決戦であったのです。
天徳内裏歌合には題が設けられており十六番以降はそれが「恋」でした。そして最終二十番、おのおの渾身の「しのぶ恋」をぶつけ合います。さて結末やいかに!? 次回へ続く!
(書き手:歌僧 内田圓学)
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