四十二番「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみ越さじとは」(清原元輔)
詠み人の元輔は三十六番清原深養父の孫、六十二番清少納言の父です。梨壺の五人にも選ばれ、勅撰集にはなんと百首以上が採られていますから当代きっての名手です。ちなみに清少納言は歌詠みが苦手であると告白していますが、それでも枕草子を生んだ博識多才は家柄あってこそだと分かります。
さて百人一首歌の解釈にはまず本歌を知る必要があります、古今集の巻二十に採られた東歌(陸奥歌)です。
「君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ」(よみ人知らず)
私が浮気心を起こしたら、末の松山を波が越えるだろう。裏を返すと、末の松山を波が越すなんてありえない、だから私が浮気心を持つなんてぜったいにない! という歌です。
「末の松山」は宮城県多賀城市の歌枕、現在では多賀城市の宝国寺の裏手に立つ二本松がそれだとされています。ところで東北の浪とえば2011年3月11日の東日本大震災で発生した津波が思い起こされますよね。実は海岸からおよそ2キロ内陸の宝国寺にも津波が到達したのですが、本殿の石段まで水につかった程度で深刻な被害は受けなかったそうです ※ 。「末の松山浪こさじ」とは根拠があることだったんですね。
元輔の歌に戻ると「波を越えない」という約束が過去のものになっています。つまり末の松山を波が越えてしまった、約束を破って浮気しちゃったんですね。詞書には「心変りてはべりける女に、人に代わりて」とあり、浮気をしたのは女で男はショックでとても歌なんぞ作れず代わりに元輔が詠んでやったみたいです。まあなんにせよ、「ぜったいにない!」なんて安易に言う人間は信用しないほうがいいです。
※ →「歌枕「末の松山」周辺2寺院と周辺町内会が協定 震災時避難者の命つなぐ」
(書き手:歌僧 内田圓学)
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