「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢)
伊勢守従五位上藤原継蔭の娘、それが十九番の伊勢です。女流がとぼしい古今和歌集において小町を上回る二十三首が採られ、その歌風は“貫之よりも貫之らしい”と先に評した 敏行に劣らぬ古今ぶりで、“女貫之”と評して言い過ぎではありません。
それがよく現れているのがこの百人一首歌です。わずかな時間を「葦の節」に見立てた序は感情よりも理性が優るまさに古今的な詠みぶりです。ただ見どころは複雑な修辞よりも「難波潟」で、この殺伐とした荒涼の風景が女の孤独をいっそう強く印象づけています。ちなみに歌枕として「難波潟」は伊勢のこの詠み方が類型化されて、例えば百人一首の八十八番のような類似歌をたくさん生みました。
伊勢といえば概してこんなかんじで、歌からほとんど感情を読み取ることができません。もしかしたら彼女には冷徹な鉄仮面があったのではないか、そう思わせてしまうのは彼女の恋愛遍歴です。伊勢ははじめ中宮温子に仕えていたのですが、しだいに温子の異母兄弟である藤原時平と仲平らと情を交わし、さらに伊勢、温子の夫たる宇多天皇の寵愛を受け皇子をもうけます。しかのみにあらず、宇多天皇が出家した後になんと、その腹違いの皇子である敦慶親王と結ばれて娘(中務)を産んだのでした。
なんという淫奔! 宮中という狭い色好み世界を渡っていくためには、自分の感情など安易に表明することは難しかったのかもしれませんね。
※「難波江の芦のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき」(皇嘉門院別当)
(書き手:和歌DJうっちー)
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