【百人一首の物語】二十番「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王)

二十番「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王)

悲劇の貴公子、その最後を飾るのが二十番の元良親王だ。父は陽成院、譲位の七年後に生まれた第一皇子であったが、皇統が光孝系に移ったためその地位には縁がなかった。
光る君しかり業平しかり、未来を失くした貴公子はある道に彷徨う、それは行方の知れぬ恋の道だ。元良親王も名うての色好みで知られるが、特筆は藤原褒子との情交だろう。褒子は宇多法皇の寵妃であった、そのような女と密通し、元良は逢瀬を重ねたのだ。源氏と藤壺、業平と高子そして元良と褒子、古典ファンなら記憶に留めおくべき“危険な情事”である。

さて百人一首歌であるが、これがまさに褒子と関係した歌である。詞書きには「事いできてのちに京極御息所につかはしける」とあり、情事は知れ渡っていたことがわかる、それでも元良は歌をつかわした。「身を尽くしても」は半端な言葉ではなかったのである。

和歌が詠まれるシーンにはいくつかあるが、その最たるは屏風歌や歌合だろう、百人一首にもそれとわかる歌がずいぶん採られている。だからこそ元良親王の歌は身に染みる、まことの恋の歌、人間のリアルな希求心に触れられる機会は和歌では稀なのだ。むしろ元良親王はこの内実※ばかりを残していて、歌人ではなくやはり稀代の風流人であったのだ。

※「来や来やと待つ夕暮と今はとてかへる朝といづれまされり」(元良親王)

(書き手:内田圓学)

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