【百人一首の物語】八番「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」(喜撰法師)

八番「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」(喜撰法師)

さて、ふたたび謎の歌人が登場、喜撰法師である。その名、百人一首に採られた歌からも坊主であることはわかる。古今集仮名序において六歌仙の一人に祀り上げられるが、伝承歌はわずかに二首でその存在は疑わしい。
ちなみに「六歌仙」であるが、歌仙などという賛辞めいた称は後世の人が付けたもので、当の貫之は彼らに好評を与えてない。いやむしろ悪口のオンパレードで、罵詈雑言に近いことばで彼らを列している。

ということで定家も喜撰が六歌仙という根拠のみで百人一首に採ってはいないだろう。実際、勅撰集に十首以上とられている「大伴黒主」はここに撰んでいない。おそらく喜撰には、古今集時代の幕開けを担わせたのだ。

古今和歌集の時代区分はおおむね「よみ人知らず」、「六歌仙」、「撰者」に分けられるが、歌人名を求めた百人一首では六歌仙時代からがそのスタートとなる。が、そんなことより喜撰の歌だ。「宇治」と「憂し」の掛詞、「しか(然)ぞすむ」に「鹿」を響かせるなど、この機知に富んだな詠みぶりこそ極めて古今的ではないか。

素直な心情吐露、手前七番まで続いた“万葉臭 ” は喜撰によって断ち切られ、ここにようやく和歌の王道が開かれる。それは理知であり滑稽でありよくよくこしらえられた歌々だ。その表明に、喜撰のこの歌はふさわしい。

(書き手:内田圓学)

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