【百人一首の物語】九番「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(小野小町)

九番「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(小野小町)

百人一首のなかでも白眉たる一首がこれだ、九番「花の色は」である。この歌に出会って古典和歌の魅力に憑りつかれた御仁は相当いると思う。なぜそう断言するかといえば、私がそうであったからだ。

小野小町は六歌仙のひとりでその唯一の女流、仁明後宮の女房だったとも言われるが何より名うての紹介文句「世界三大美女」のランカーとして知られるだろう。小町が絶世の美女であった明確な根拠は伝わらないが、綴られた恋歌の数々をみればそう信じたくもなる。圧巻は古今和歌集「恋二」冒頭の三連首(※1~3)、夢にすがるよりほかない女の悲劇に心を動かずにいられない。
しかし小町の歌は恋歌の定型中の定型であるのだが、いわゆる「待つ女」という恋歌の型を決定したのが小野小町その人であったのだ。
人麻呂も家持も不在の古今集において、歌に抒情を繋ぎとめたのはひとえに小町の働きであった。小町がいなけれこの初代勅撰集は男どものエスプリに侵されて、それこそつまらぬ集になり果てたことだろう。古今集に小町がいて辛くも和歌は抒情詩たる魂を繋ぎとめた、私はそれだけ小町を評価している。

さて、このように小野小町といえば恋歌こそ本領なのだが、百人一首に採られのは四季(春)の歌である。定家は古今集の四季にわずか一首しか採られていない小町の歌をわざわざ採ったのだ、いや採らざるを得なかった、それだけ「花の色」の歌は別格なのである。
和歌は「詞」と「心」によって構成される、そしてこの左右がバランスして名歌は完成する。これが定家の持論であったが「花の色」の歌はまさしくこれを体現しているといえよう。
まず詞、「ふる(降る)、(経る)」と「ながめ(長雨)、(眺め)」の掛詞、二句切れの倒置と技巧が冴えに冴える。また一方で「うつりけりな」と置いて響きを硬くしない。そして心、むなしき春の風景の裏に待ち偲ぶ女の悲劇を寸分の狂いなく重ねてみせた。これぞパーフェクト! 私はここに和歌という三十一文字の文芸のひとつの極みを見る。そして定家もその目を持って、迷うことなく百人一首にこの歌を採ったのだ。

この比類なき一首に対抗しうるとすれば、それは定家自身の百人一首歌(※4)においてよりほかはない。

※1「思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせば覚めざらましを」(小野小町)
※2「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物は思みそめてき」(小野小町)
※3「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」(小野小町)
※4「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」(藤原定家)

(書き手:内田圓学)

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