五十番「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」(藤原義孝)
恋の歌が続きます、よみ人は藤原義孝。この歌で百人一首も前半終了ですが、後半は藤原氏以外の氏族はほとんど出てきません、ようするに駆逐、埋没しちゃったんですね、宮廷から。だからといって争いのないまさに“平安時代”となったのではなく、今度は身内どうし、つまり藤原氏の中でみにくい小競り合いが表面化していきます。
義孝は四十五番の謙徳公の息子、時の摂政家のお坊ちゃまですから、さぞ豪奢な人物かと思えば、むしろ正反対、今でいう“陰キャ”といってもよさそうです、この歌を見るかぎり。
「いつ捨ててもいいと思っていたこの命、今はあなたのため、少しでも長生きしたいなあ」。なるほど父譲りでしょうか、言葉の端に無常感が漂っています。義孝は仏教への信仰心が篤く、歌の他力本願もその影響でしょう。女性を本気で口説くなら、やはり二十番の元良親王の「みをつくしても!」だと思いますが、まあこれが「個性」というものですね。
それでもこの歌、悪くないと思います。何回も引き合いにだして悪いのですが、四十八番の“大浪ざっぱ~ん”や四十九番の“燃えるかがり火”のような“えせ恋歌”にはない、「真心」がこの歌にはあります。
義孝は若干二十一歳にして夭折してしまいます。はやり病の天然痘にかかり、同じ日に兄も亡くなるのですが、そんな悲劇をなしにしても、「長くもがな」にはこの人の誠実が表れていると思うのです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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