二十九番「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)
ついに古今集撰者がお目見え、凡河内躬恒だ。古今の撰者はあと三人、三十番の壬生忠岑と三十三番の紀友則そしてご存知三十五番の紀貫之であるが、とりわけ躬恒と貫之はこの集を二分する人気歌人であり、入集数でも貫之(百二首)と躬恒で(六十首)でワンツーフィニッシュを決める。さながらレノン・マッカートニーのごとき麗しきライバル関係であるが、実際のところ歌人としての腕前はどちらが上であろうか?
この「貫之躬恒の優劣論」は古来訴状に載り、鴨長明の歌論「無明抄」にもこれを語った一節※1がある。長明の歌の師である俊恵法師が言うところ、かつて藤原実行と藤原俊忠が躬恒と貫之の優劣を論ぜた。しかし優劣が決しないので白河院に御意向を仰いだところ、源俊頼に問うてみろと言う。それに俊頼が答えて曰く「躬恒をばあなづらせ給ふまじきぞ」と言った、のだと。
誰もが論争から逃げて時の大家俊頼に回答をなすりける様は一興だが、肝心の勝敗はというと俊頼でさえもが甲乙をつけず口を濁している。ただあえて「躬恒をば」と添えたのが重要で、当時貫之優勢の風潮があったことを推測させる。
同じことを私に問われれば、間違いなく貫之のこそ第一の歌人であると答える。古今に採られた百あまりの歌すべてが勅撰集の面目を有すのに対し、躬恒の六十首には駄作が散見されるのだ。しかしそれぞれ最上の一首を突き合わせた時、貫之と躬恒は見事に拮抗する。いや、躬恒の方が勝っていよう。
貫之は古今集の柱となるべく古今ぶりを徹底した、それはいわゆる理知的な言葉の技である。躬恒の場合は必ずしもそうではない、古今選者でありながら古今の埒外にある歌に輝きを放つ。それは自身の感性に頼った歌、そう躬恒は端的にアーティストであったのだ。
百人一首歌などはそれを象徴しよう、『当て推量で手折ってみようか、初霜が置いて見分けがつかなくなった白菊の花よ』。一般には霜がびっしりと付いていっそう際立つ白菊の美しさ、などと評価される、しかしこの歌はそんな陳腐に収まらない。
「雪月花」。これら自然美の象徴がいずれも「白」であることは偶然でない、和歌ひいては日本美にとって「白」とは格別なのだ。その白と白とが共演いや競争する一面の白銀世界、耽美を超えてサイケデリックの極みではないか! このような稀有な芸術※2,3,4、貫之には到底描けないだろう。
※1「無明抄」(第二十七段)
※2「春の夜のやみはあやなし梅花色こそ見えね香やはかくるる」(凡河内躬恒)
※3「ホトトギスをちかへり鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空」(凡河内躬恒)
※4「夏と秋と行きかふ空の通い路はかたへ涼しき風や吹くらむ」(凡河内躬恒)
(書き手:歌僧 内田圓学)
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