【百人一首の物語】五十六番「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」(和泉式部)

五十六番「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」(和泉式部)

博識の誉れをほしいままにした公任が絶賛した当代歌人がいます、だれあろう和泉式部です。五十九番の赤染衛門と並び評されることもありますが、後世に与えた影響など考えると、男女ひっくるめて和泉式部がやはり当代のナンバーワン歌人で間違いないでしょう。

それを端的にうかがい知れるのは意外にも謡曲です。「東北」や「誓願寺」にシテとして登場する和泉式部はなんと歌舞の菩薩なのです。謡曲に描かれた歌人といえば「小野小町」が最多でしょうが、彼女がその老女姿が惨めに描かれるのに対し、和泉式部は歌の神様にまで昇華しています。つまりこれが中世の能作者たちの“和泉式部像”であったのです。

一方で、和泉式部は“恋多き女”としても知られていますよね。紫式部いわく「和泉はけしからぬ方こそあれ」(紫式部日記)というわけですが、それは冷泉帝の皇子たちとの身分違いの恋愛が非難されたのでしょう。でも「和泉式部日記」を読めばわかりますが、彼女の恋愛は一筋で懸命です。自分の恋愛を擁護するためにあえて白日にさらした日記かもしれませんが、これを読めば彼女をたんなる「浮かれ女」とは非難できないはずです。でも、なんで出自も低い和泉式部が為尊、敦道という高貴な男を虜にできたのか? これも例の日記に答えがあります、それはズバリ歌です。相手が押せば引き、引けば押す、この駆け引きをたくみに詠みこんだ恋歌が、やむごとなき男どもを魅了してやまなかったのです。

実は先の謡曲で最初、和泉式部は愛欲にとらわれた存在として登場します。しかしこれが法華経の功徳によって火宅を離れ、歌舞の菩薩となるという結末なのです。裏を返せば、それほど和泉式部の歌には“恋の執念”が宿っていたということです。百人一首の歌もまた、恋への執念をあらわにした魂の絶唱です。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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