【百人一首の物語】十番「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(蝉丸)

十番「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(蝉丸)

「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」。孤高のひねくれ者、藤原定家の名文句であるがやはりその人らしいというべきか。平凡は喜撰、小町と続けてきたら遍照、業平とやりそうなところを六歌仙の隙に蝉丸なる正体不明歌人をぶっこんできた。これぞ天才のひらめき! と言いたいところだが、肝心の歌といえば歌ならぬ歌、民謡のごとき微笑ましさだ。

この蝉丸、とはいえ勅撰集に四首採られている(同じ調子の歌※ばかりではあるが…)。後撰集の詞書きに「相坂の関に庵室をつくりてすみ侍りける」とあり、以後このイメージが信じられた。世阿弥作とされる謡曲(蝉丸)では醍醐天皇の第四皇子に祀り上げられるも、生まれつきの盲目のため逢坂山に捨てられたというからやりきれない。シテは皇女たる姉の逆髪であるがこれも捨てらて狂人になり果てており、一曲はこの悲劇の姉弟の再開と別れが粛然と描かれている、四番目物の中でも極上といえよう。

してみるとどうだ、あの幼稚に思われた歌が一転輝きはじめた。曲中、二人の再開の場所こそがこの「逢坂」であり、蝉丸はつまり「これやこの…」としか表現のしようがない愚鈍の感動をここにかろうじて歌に留めたということになる。

すばらしい! 誰がといえば蝉丸でももちろん定家でもなく、この一首を最大に拡張して物語をなした世阿弥というエンターテイナーだ。

※「世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ」(蝉丸)

(書き手:内田圓学)

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