【百人一首の物語】 八十三番「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」(皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)

八十三番「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」(皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)

俊成といえば言わずもがな平安末期歌壇の重鎮、後白河院の下で「千載和歌集」を撰進し、後鳥羽院の下では「千五百番歌合百首」などを詠進するなど和歌史に誇る一時代を築きました。俊成は古今集への回帰を唱え、その格調高く優美な歌風は息子定家をはじめ式子内親王、藤原良経、家隆、寂連らを鍛え、次代に「新古今」という稀代の芸術を生みました。俊成がいなければおそらく和歌という文芸は中・近世をまたずとっくに死に体となり果てていたことでしょう。ようするに俊成とはいろんな意味で、和歌史におけるゴッドファーザーであったのです。

その栄光への道は平坦ではありませんでした。崇徳院の歌壇の一員となって栄えある「久安百首」のメンバーに選ばれるも、院歌壇崩壊後の二条天皇の歌壇では藤原清輔が重用されて立場を失い、次の後白河院には再び重く召されますが、建久七年の政変で門弟たる九条兼実の失脚にともない宮廷歌壇での力を弱くするも、それでもしぶとく蘇って、最晩年には後鳥羽院から九十賀宴を賜るなど歌人として最高の栄誉をいただきました。

そんな紆余曲折があいまってか、俊成の思想には仏教色が濃く匂っています。その象徴が式子内親王へ宛てた歌論書「古来風体抄」、そこで彼は歌道を「天台止観」になぞらえて説いています。

「今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」
古来風体抄

和歌における「無常美」は誰しもが理解していたと思いますが、ここまでダイレクトに仏教に結びつけて教義としたのは俊成が特異です。ちなみに「三諦(円融三諦)」とは“すべての存在には実体はなく相互に溶け合っている”というような考えですが、これに俊成は歌の「詞」と「心」とをなぞらえ、これらを止揚した「「風体(姿)」にこそ歌の本質があると説き、「幽玄」や「艶」といった複雑な美的様相を示す根拠としました。

さて百人一首歌です。
「この世の中には逃れる道はないものだ、俗世を思い悩んで入った山の奥にも、悲しげな鹿の声が聞こえる」

この歌は俊成二十七、八歳ころの若書きで、同じ時期に西行ら友人が出家したといいます。歌にある不安は、まさに手探り状態にある彼の人生の不安なのでしょう。非凡は遁世の歌ではあるのですが、同時に終わりが始まるであるというような円環構造が表れていて、ここですでに円融三諦の思想がみえるということです。俊成という人はその人生に関係なく、元来仏教思想に深い共鳴があったということですね。

(書き手:和歌DJうっちー)

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