薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕べと誰か言ひけむ(藤原清輔)

「秋は夕暮れ」。枕草子にもこの一文があるが、このような美的態度は少なくとも古今集には見られない。おそらく末法思想が盛んになり、西方浄土への憧憬が強まりだした平安中期頃に転機があったのだろう。今日の歌は「秋は夕暮れ」が一般化した平安の末期、一矢報いようという清輔の挑戦である。『秋は夕暮れだなんて、いったい誰が言い出したんだ!』、そういえば後鳥羽院は「春の夕べ」でこれに対抗した※。
ところでこの一首、世阿弥の理論書「風姿花伝( 第三 問答条々)」では、「萎れたる風情」の譬えるとして引かれている。世阿弥曰く「萎れたると申すこと 花よりもなほ上の事」だから、この歌の眼目は挑戦的な下句ではなく、薄霧に湿る下句にこそあるのだ。

※「見わたせば山もとかすむ水無瀬川ゆふべは秋となに思ひけむ 」(後鳥羽院)

(日めくりめく一首)

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