風はやみ雲のひとむら峰こえて山みえそむる夕立のあと(伏見院)

『風が速いのでもはや雲の一群は峰を越えたようだ、山の頂が見えはじめる夕立のあと』。伏見院の夕立の歌、昨日の式子内親王と比べるとあさっりとしていて、さすが純写生歌の旗手といった風だ。どちらが優れているか、問われれば私は式子を選ぶがその実多分に好みの問題である。しかしながら純写生歌といったものほど優劣つけ難いものはない。今日の歌とて風景と時間、そのトリミングに優れているかもしれないが、秀歌に必須の「あはれ(感動)」は乏しい。これは過度な刺激に慣れすぎた、現代人の不感症であろうか? そうとも言い切れないのが、疾風迅雷を吹き込んだ京極派の純写生歌がほとんど一代で絶えてしまったという事実。誉れ高い玉葉・風雅も、伝統和歌の礎があって輝けた一夜の徒花だったのだ。

(日めくりめく一首)

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