色かはる露をば袖におき迷ひうら枯れてゆく野辺の秋風(俊成卿女)

新古今歌の四季歌が難しいのは、一首が純粋な風景またその感想ではないことに起因する。風景がつまり暗喩であり心象であり悲劇の象徴なのだ。三十一文字という短詩形においてそれを可能とするのは、一語一語の言葉に秘めた含蓄力によるものだと知っておきたい。
『色が変わった露は袖に置き場がないほどで、葉末が枯れてゆく野辺の秋風』。和歌で「露は野辺を秋に染める」という役割を果たすが、ここでは「色かはる露」とあり自らの「紅涙」の婉曲表現となる。それが置き迷う慟哭に、葉末から枯ゆく野辺と秋風という無常を背景に添える。直接的な言葉にない分、虚無の感情がより深く心を抉る。

(日めくりめく一首)

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