お金、モノそして人間関係から離れて「自由」に生きたいと考える人は少なくありません。例えば芭蕉そして西行、彼らのように世を捨てて花鳥風月を友とし、美に生きる人生は理想のひとつです。
しかし発展途上の半ばにあった70年代の日本でさえ、車寅次郎は珍奇に見られていました。金・モノが当たり前にあって理想的社会像が固定化された現代、世を捨てフーテン暮らしをすることが、はたして私たちに出来るでしょうか?
率直なところ私は無理だと思います。ことSNSなどが当たり前のインフラになった令和の時代、先に挙げた彼らのように家族や社会を捨てて生きるなんて、もはや古典文学の絵空事です。
しかし、です。一度でも春夏秋冬の美しさに魅了されてしまえば、やはりどうしても彼らの人生を憧れてしまい、その姿を追ってみたいという衝動に駆られます。
そこで提唱するのが「半俗半雅(はんぞくはんが)」です。社会との関りを保ちつつ、折々の花鳥風月に心酔するバランスの隠遁です。
「半俗半雅」だなんて、いかにも中途半端だとお思いでしょう、しかし甘く見てもらっては困ります。最終的な目的地は芭蕉、西行と何ら変わりません。「世を捨てる」という最終地点は、誰にも訪れる「死」という永久不変の真理なのですから。
「半俗半雅」は「死」という避けられぬ人生の隠遁を強く覚悟し、その反作用による日常の「美」的開放です。折々の風の匂い、道野辺の草そして中空を行く月。コンクリートを離れた千変万化の造化に寄り添うことで、人生の心の満足感は圧倒的に豊かになるでしょう。
しかし言うは易し、具体的にどのように実践するのか? 実のところ私自身も目下道半ばであり、まだまだお話しする術がありません。でも何か気づきを得られたら、その都度共有させて頂きます。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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