歌塾 月次歌会「立春」(令和五年二月)※判者評付き

歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和五年二月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。

題「立春」

「春くれば汀のこほりとけそめて人に知られぬ白波ぞ立つ」

判者評:立春詠において、「春」にいかなるものを「立つ」とするかに歌人の工夫があるが、ここでは池の汀の波が立つとしている。沖の雄大な白波ではなく池の面に見える小さな波であるから「人に知られぬ」なのだろう。小さい春見つけた、という感じだ。

「霞立つ惑ふ旅人草枕かすみのせきに留まらましを」

判者評:おぼろなる春霞に行く先を失った旅人、こんなことなら旅立つことなく関に留まっていたのに。立春の歌としてはきわめて稀な、後悔の念を詠んだ歌。書き分けているが「霞」と「かすみ」は歌病で避けたい。また「草枕」は枕詞として「旅」の前に置いたらどうだろう。たとえば「草枕旅の行方やいかならむ春のけぶりに道ぞ惑へる」

「春たちて雪気(ゆきげ)の雲もかすれつつしろき吐息も空のはたてに」

判者評:「春立つ」といえど、景色はまだまだ極寒である。今にも雪が降りそうに霞が立ちこめて、そんな白さに合わせるように吐く息が空の向こうへと消えてゆく。結語「はたてに」が余韻を残し、色と奥行きを感じる、美しい風景歌だ。

「差したればあらたまの春となりにけるほのあをき瓶の松のおほ枝」

判者評:瓶に飾った松のお飾り、晴れやかな正月の景色である。「差したれば」に、飾り付けたことで春を実感するのだ、という作者の実感がこもっている。ところで瓶の色は「あを」だろうか、透明だろうか? 三句目は「なりにけり」として区切った方がリズムが生まれる。

「呼べや春火の波枯野黒く染むけぶる宵咲く花火あかきに」

判者評:詞書にあるとおり野焼きの風景、初句の倒置された「呼べや春」が見どころになっている。結句を調整して「あかき火」に呼びかけるようにしたらどうだろう、例えば「呼べや春いまだ枯れ野に閉じられし若草山を焦がすあかき火」

「今朝はまだ霞まぬ山に白妙の梅綻ぶる春は来にけり」

判者評:暦の上で立春といえど、やすやすとは進まぬのが現実。まだ春霞は立たないが、梅はほころんで確かに春は来たのだ。「白妙の」は枕詞として使われておらず、おそらく「白梅」の想起を狙っていると思うが、これが成功しているか問われれば難しいだろう。また四句目「梅綻(ほころ)ぶる」の声調が悪い。素直に「梅の綻ぶ」でいいのではないか。

「春立ちて花の匂へるふるさとの色のかはらぬ人のあるかも」

判者評:「花」「ふるさと」とくれば誰もが貫之の「人はいさ」を想起するだろう。ここでは「あるじ」にやっかみを言うのではなく、むかしのままでいるだろうという素直な希望が見える。助詞「の」が続くので声調を整えたい、三句目「の」を「は」とし、結句「の」を「や」としたい。つまり「春立ちて花の匂へるふるさとは色のかはらぬ人やあるかな」

「梅が香や春はきぬれどこぬ人を待てる心の雪は消ゆまじ」

判者評:こちらも「梅の宿ぼ主」を想起させる歌。しかしここでは相手は来ず、恨み言を歌にこめる。「梅」と「雪」が白色で連想が繋がるとしても、この歌では意味合いが弱い。季節は少々ずれるが、例えば「花ぞ散る春は暮れてもこぬ人を待てる心の雪は消ゆまじ」

「うぐひすのとくる涙か梅の花あさ日を宿す露のしらたま」

判者評:古今集の「うくひすのこほれる涙」を踏まえた歌。ここでは涙は見立てとなって「梅の花に置く露の白玉」であり、なんとそれが朝日を宿しているという、晴れの正月の朝にふさわしい発想抜群の歌である。

「朝日さす春立つ風に枝揺れて散りぬ雪片梅の香はじけり」

判者評:こちらも立春の朝日が詠まれている。見どころは梅の香「はじけり」だろう。漂う匂いではなく、躍動的な匂いだ。しかし梅は咲いていたのだろうか、立春の風が枝の雪を散らし、それが梅の花と見えたのか(これは極めて和歌らしい風景である)。ただ香がはじけているので実際に花があるとみるのが妥当か、すると「朝日」「風」「枝」「切片」「梅」と景物のオンパレードで歌としてはおさまりが悪い(朝日さすは必要な風景であろうか?)。また四句と五句が句またがりで和歌の声調としては好ましくない。

「雪残る庭にただよふ梅の香はためらいがちの春をせかせり」

判者評:春くれど、遅々として進まない季節に梅の香がせきたてるという趣向。「ためらいがち」「せかせり」という言葉は和歌らしくはないが、梅が擬人化され風雅の心がユーモラスに歌われている。

「霞立つ春の月夜の梅の花にほひぞ満ちて空をそめける」

判者評:こちらも梅の花が擬人化され、空を染めるとある。「大空は梅のにほいにかすみつつ」も意識にあると思うが、定家が梅の香りをムンムンと充満させたのに対し、こちら歌は「空をそめける」とあっさり締めていて、まだまだ冷たい夜の空気感を残しているように感じる。

「雨あらし寒きに耐へて咲き出づる春立つけふのこの梅の花」

判者評:縁起のいいものとして「松竹梅」というが、いずれも冬の寒さへの抵抗が尊ばれるが、この歌でまさに梅は「雨あらし寒さに耐えて」春一番に咲いてみせつ強靭な美しさが讃えられている。古典表現では「咲き出づ」は耳慣れないが、作者はどうしてもこう表現したかったのだろう。ちなみに「咲き出(づ)る」は用例があるので「咲き出たる」となる。

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