歌塾 月次歌会「晩夏」(令和五年七月)※判者評付き

歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。日本美の結晶たる初代勅撰集「古今和歌集」を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和五年七月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。

判者詠草

茅の輪をくぐればめぐる折節の風におどろく夏の暮れかな」
「待つ宵の月の赤さもあけぬればしたもえきゆるかやりびのはて」
「暮れぬれば日ぞのぼりける玉くしげふたみの浦にあくるしののめ」

塾生詠草

「朝露にうつるはちすの花の色人や知るらむはなのこゝろを」

判者評:蓮の花を見て、人は知っているだろうかこの花の尊さを。それは仏のみ教えの象徴であるのだ。「〇〇に西方浄土を見る」とはすなわち観想念仏である。念仏というと私たちは「称名念仏」を想起するが、大乗仏教の基本的な行はこの「観想念仏」の三昧行なのである。初句の「朝露にうつる」だが、基本的には花が写るのは「池の面」だと思うが、作者はそうではなく「朝露」に写るとした、歌の妙はここにあると思われる。すなはち華厳に説かれる「一即多」である。

「風にあそぶ蓮の葉上の玉水はふちをめぐりて真中にぞ留(と)む」

判者評:蓮の葉の上の露が風に揺られて、葉の縁(ふち)をまわりながら真ん中で止まる。玉の悠々した動きを一首にとどめた、見事な写生歌である。玉の動くさまを「あそぶ」としたところが素晴らしい。言葉の確認をしておきたい。「風にあそぶ」の「に」は『~と』という意味はなく『~によって』となるが、とすると「風にあそばる」とすべきか? ここは素直に「風とあそぶ」したい。「ふち」は古語で主に「淵」として用いられ、「縁(ふち)」の用例はあっただろうか? もしないとしたら「端」に置き換えられる。「留む」連体形は「留むる」となるが、これでは八文字になってしまうので「ぞ」を用いず「止まる」としたい。よって「風とあそぶ蓮の葉上の玉水は端をめぐりて真中に止まる」 ※「真中」も「最中」などがふさわしいか

「朝顔の花の青さに立ち止まり見上げる空に暑さをおもう」

判者評:朝顔の青い色を見て、ふと季節のめぐりに気づいて足を止める。見上げれば入道雲が立ちのぼり、ああ夏が来たのだと、一入の暑さに感じ入る。夏休みの頃を思い起こす、まさに夏のワンシーンといった歌だ。「上げる」は「上ぐる」、「おもう」は「おもふ」と直す。これは難しい問題だが、「青さ」という「青し」を体言化した形は古語で用いられていたか気になる。

「神のます山下とよみ行く水のみはしによりて道ぞひらける」

判者評:神祇の歌。蛇王権現(だおうごんげん)の座す豊かな川は、そのお作りになった端によって道が開かれた、日光の有名な神橋(しんきょう)の所以が詠まれている。上句と下句の接続が不安定、「神のます山下とよみ行く川は」とする。その上で「みはしによりて道ぞひらける」となるが、結句が「ぞ」があるため「道ぞひらけるる」となるので「開(あ)かるる」として、「神のます山下とよみ行く川はみはしによりて道ぞ開(あ)かるる」と直す。

「村雨の十市(とをち)の里に去ぬるなり涼しくもあるか野辺の夕風」

判者評:夕立は十市の里に去っていった、涼しくなってきたなぁ、野辺の夕風よ。十市大和国にあった地であろうか、いにしえを偲ぶ、夏の情景である。三句「なり」の断定に違和感がある、例えば「過ぎ行けば」とか。

「道のべに なりかえりたる 蝉白き腹見せ足掻く風の夕かげ」

判者評:道のべに、成虫となった蝉が腹を出してもがいている、そんな風の夕影よ。蝉は幼虫で土の中で7年を過ごし、地上に出て1週間で死ぬなんて言われる。まさに空蝉が白い腹を出しながら息も絶え絶えとなっている、そこまでが序で、風の夕影で結ぶ。仏教的な無常感と欣求浄土の思想が漂う歌であるが、とすれば「風の夕影」はどうしても唐突感があるので、「白き腹」にたいして「赤き夕暮れ」などどうか。※「赤光」は斎藤茂吉が仏説阿弥陀経の一節から採った。「赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遙(はる)けかり野は涯(はて)ならん」

「恋がため命尽くせる蝉しぐれ絶ゆとも絶えず君を思ほゆ」

判者評:恋とは突き詰めると子孫を残すこと、そのために命を懸けて蝉が鳴いている、絶えても絶えない君を思いながら。これは蝉にたとえた人の恋心だろうが、「命尽くす」と「絶ゆとも絶えず」によほどの執着心が見える、激情の恋の歌である。「尽くせる」とは「尽くす」が存続している状態で、矛盾しているように思う。また「絶ゆとも絶えず」の「とも」は仮定の意味合いがあるがふさわしいか。すなわち「恋がため命を尽くし蝉しぐれ絶ゆれど絶えぬ思ひなるかな」

「年古れば春の思ひ出ばかりなり今こそひとり六月祓せむ」

判者評:年をへると春の思い出ばかりになる、今年こそはひとで六月祓をしよう。梅にうぐいすに桜、年をへてみると思い出は春のものばかりであった、しかしこれではあまりにも不憫だ、だから今年は夏の最後に六月祓をしようではないか。家隆の「みそぎぞ夏のしるしなりける」もこのような意識が根底にあると思う、最後の最後に夏にこころを寄せようというものだ。「こそ」があるので結句は「六月祓せめ」となる。

「石上布留の社の朝影に茅の輪くぐりて鶏のなく」

判者評:布留社は奈良県天理市の石上神宮、その朝影に茅の輪をくぐったら鶏がないた。実感のこもった、夏越しの風景である。三句目の「朝影に」が浮いている、例えば「布留の社に朝陽さし茅の輪くぐれば鶏ぞなく」

「入り日さす千鳥のこゑのわたる野の涼しき風に老ゆる夏かな」

判者評:夕日がさす千鳥の声が鳴き渡る野の涼しき風に、暮れてゆく夏に思いいる。涼しくなってきた風に秋を感じ、夏の終わりを思う、これを「老ゆる夏」としたのが作者の力量である。和歌で「千鳥」は冬の主に浜辺の風景に合わせられるが、これは作者の体験であろう。ただ「野」に合わせるのは「入日」か「千鳥」どちらかに集中した方がより風景が際立つ。たとえば、「入日さし浮かぶ枯れ野を吹きわたる涼しき風に老ゆる夏かな」

「禊ぎする川のさやかに立つ波のすゑより秋のおとづるるかな」

判者評:夏越し祓する川にわずかに立つ波の、その先から秋はおとづれるのだなあ。今回一番の歌である。さやかに立つ波のそのすえ、とはなんという微細な目を持った歌人であろうか。わたしはすぐ家隆を思い浮かべた。「春風に下ゆく波のかずみえてのこるともなきうす氷かな」「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草のはるを見せばや」「にほの海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり」。いい歌である。

「名におへる高麗うぐひすこゑきけば你好吗(ニーハオマー)とむべあたへかし」

判者評:高麗うぐひすという名があるその声を聞けば、なるほどニーハオマーと聞こえる。「何し負はば」の「高麗うぐひす」バージョン、洒落の聞いた歌である。結句がよくわからない、「むべ/あたへ/かし」と「なるほど、与えたのだなぁ」であろうか。「かし」は終止形につくので、「むべあたふかし」なる。となると歌の意味の上では語順を整える必要がある、すなわち「你好吗(ニーハオマー)鳴くこえきけばむべ高麗のうぐひすの名を負ふるかし」

「恋ひ恋ひてとしひとたびの星合ひにそよとな吹きそ秋のはつかぜ」

判者評:恋焦がれてようやく逢えるという年に一度の逢瀬の夜に、「そよ」と吹いてくれるな、秋の初風よ。初秋の風物たる七夕をその風景とともにみごとに詠んだ歌である。「そよ」は風の擬音だが、「そうよ」という同意の意味が含まれ歌もこれを踏まえるが、意味が読めない(秋に「飽き」が掛かっているということか)。たとえば「逢はむとぞ願ふこころのかよひなばそよと吹かまし秋の初風」などとしたい。

「天の川流るる星はおりひめのこぼる涙の雫なるらむ」

判者評:天の川をわたる流れ星は、織姫のこぼす涙の雫なのだろう。おなじみ七夕の歌であるが、流れ星を織姫の涙に例えるなど、なんともロマンチックである。細かいが「織姫のこぼる涙の」ではなく「織姫がこぼす涙の」としたい。ちなみに少し万葉的にしてみると、「吾が妹の流す涙か天の川時をしわかず星ぞ流るる」

「牽牛の七夕の夜はどしゃ降りに織女に逢えず無念の涙」

判者評:七夕の夜が土砂降りで、天の川が見えずもしくは氾濫して渡ることができず織女にあることが出来ず、無念の涙にくれる。七夕伝説をギャグに仕立てたものだが、実は古典でも類がある「天の河 浅瀬しら浪 たどりつつ 渡りはてねば 明けぞしにける」。ところで「牽牛の七夕の夜は」では意味がとおらないので、「牽牛や七夕の夜はどしゃ降りで」としたい。

「しののめの空にとけゆく天の川流れし時の恨めしきかな」

判者評:七月七日の夜があけて、白々とした朝に天の川が溶けてゆく。ひととせ待ちわびた逢瀬の時は終わりもう僅か、過ぎ行く時間が恨めしい。七夕伝説を踏まえた恋の歌だが、「空にとけゆく」の表現が秀逸でひとしをの虚しさを感じさせる。

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