歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
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令和五年一月の歌会では以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。
題「晩冬」
「おともせで結ぶ氷はありあけの見せばや袖に消えぬ面影」
判者評:「ありあけ」を掛詞として上下を繋ぐ恋の歌である。一見技巧がさえて見えるが、「音もせで結ぶ氷」で「むせび泣き」を描き、「袖に消えぬ面影」で忘れられぬ恋の恨みを吐く、すさんだ風景と心象がみごとに合わさった一首である。
「小夜ふけて野田の玉川風寒みしのに呼び合ふ友千鳥かな」
判者評:六玉川のひとつ「野田の玉川」が詠まれている。野田の玉川は能因法師が詠んで以来、千鳥をあわせて詠む歌枕となった。ちなみに山城の「井手の玉川」は山吹を、近江の「野路の玉川」は萩をあわせて詠む。ここでも素直に千鳥が詠み込まれているが、陸奥の寒き冬風にあたって、「しんみり」と声を掛け合うさまがあはれをさそう。
「ひと冬をこゆるかぎりのちぎりとて羽根かはしけり夜半のをしどり」
判者評:なるほど、オシドリの番は一冬だけの契りであったのか。さすれば、その慰めあう姿にはことさらに情け深い。人の夫婦もこうありたいたいがそうはいかないから、人は鴛に惹かれるのだろう。
「朝ぼらけ枝をしならせたつ鳥の響きしたいてしずり雪かは」
判者評:「垂(しず)り雪」とは美しい言葉である。それが立つ鳥によって生じるという、目の付け所が素晴らしい。「響きした(ひ)て」とはなんだろうか、立つ鳥の羽ばたきの音、声など考えられるが、「しなり」で「しずる」と思うのでいずれにせよ不要に思われる。また結び「かは」(反語)は正しいだろうか。なので例えば「朝ぼらけ宿りし枝を立つ鳥のしなりにあえずしずり雪かな」。
「入相のひびきを残す奈良坂の雪間に浮かぶ金色の鴟尾」
判者評:「奈良坂」平城山(ならやま)を越える坂道、別名「般若寺坂」と呼ばれるが、「入相のひびき」は般若寺のものだろうか。「鴟尾」(屋根の大棟の両端を飾るもの)を有するかはわからない。実景であろうか? いずれにしてもある種の宗教的体験を感じさせる荘厳な一種である。
「冴えこほる天つ空より舞ひ散れる色なき野辺を染むる白雪」
判者評:「天つ空」「舞ひ」から僧正遍照の舞姫を連想させる、それが「色なき野辺そ染むる」と古典でありそうでない美しい風景を詠んでいる。発想抜群で言うことはない、あえて突っ込んでみると雪の連体修飾語が三つ「舞ひ」「散る」「染むる」あるのは冗長かもしれない。例えば「ひさかたの天つ空より舞ひ渡る白雪にいま野辺ぞ染まるる」。
「雪さゆる山橘の色に出ずこきもうすきもまことしきもの」
判者評:雪間にひっそりと生ふる山橘の色に忍んでも忍びきれない恋心をあらわす、古来好まれた風景である(あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ)。ここでも山橘の赤き色は「心」の象徴となっている。しかもそれは濃くとも、薄くとも「まことの心」である、というところに発展がある。結句「まことしきもの」が説明調でもったいない。たとえば「雪間わく山橘の色なれば濃くも薄くもかはるものかは」。
「立ちのぼる山のいで湯のゆけぶりに月影かすむ雪の夜かな」
判者評:実景だろうか? 冬夜の秘湯といった感で、とてもうらやましい体験である。「湯けぶり」という俗っぽい言葉もあるが、これで月影が霞むとあり和歌の型が守られている。いはば雅俗のハイブリッドであり、このような歌こそ現代に望ましい一首である。作者も楽しみながら和歌をよむ域に達したのでないだろうか。
「かぎりなく過ぎ行く時の常なれば散りぬる雪にかへる里なし」
判者評:際限なく雪が降るのが常であるという、しかもそれで故郷に帰れないという。近年は温暖化の影響でむしろ冬の大雪が増える傾向にあるが、この雪は作者の体験であろうか、それとも雪とはなにかの暗喩であろうか。
「さゆるほどさやけく光る月かげに氷とみゆる艶ぞありける」
判者評:いたってシンプルな歌ながら、まことに難しい一首である。凍りつくほどの清き月影、それで氷ができるのは順当だが、氷と見える「艶」があると結ぶ。いはば「清浄」と相対する「艶」が対照されている。その艶とはなんなのか、額面どおり氷の美しさなのか。私はここに死に化粧さえ想像してしまう。
「月影の凍りて道の道ならぬ霜踏む音の君にとどかむ」
判者評:訳すならば「月影さえも凍りそうな冬の夜に、いつもの道が道でないように霜が降り、その踏みしめる音が君に届いているだろうか」という感じだろうか(その場合、下句は「霜踏む音を君に送らむ・届けむ」としたい)。つまり道とは愛する人への「通い道」なのである。「霜踏む音」美しい気づきである、歌を古典的に歌を調整すれば「月影も凍る冬夜の道なれば霜踏む音の立ちもこそすれ」はいかが。
「しろがねの朴(ほほ)の木立の枝まよりさやかに見ゆる冬の空かな」
判者評:「朴の木」は万葉集に用例がある(我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋)。「しろがねの朴」とは雪を被った姿か、その枝の間から冬の空が見える。詞書のとおり実景を詠んだ、見事な風景歌である。やはり「朴(ほほ)の木」が活きている。
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