歌塾は「現代の古典和歌」を詠むための学び舎です。初代勅撰集である古今和歌集を仰ぎ見て日々研鑽を磨き、月に一度折々の題を定めて歌を詠みあっています。
令和三年十二月は以下の詠草が寄せられました。一部を抜粋してご紹介します。
題「冬立」
「冬さればつぎて降らなむ白雪の色にまぎるる紅の花」
判者評:「雪」の型を踏まえている。降らなむが雪と山茶花に掛かっていて面白く、美しくもある
「あゆみ行く足の音さへかはるなり霜柱立つ冬ぞ来にける」
判者評:付く霜ではなく、踏む霜。現実的な風景、ただごと歌。結句「〇は来にけり」は使いやすい常套句。
「打ち着ぬるイルミネーションえ寝させじ世の例(ためし)とはかくのごとしぞ」
判者評:田舎から出てきた人が都会の人工的なイルミネーションを見た感想か。LED電球を着せられた木々の恨み、そこからその光害が発生しさらに被害者を生む。最近では紅葉までのライトアップする。いいのかわるいのか。若干、決めつけ感がある。
「都には冬の囲ひもみえねども山に谷間に雪は積むらむ」
判者評:勅撰集の雪は優雅な雪、しかしそれは現実を直視していない。豪雪地帯では雪の害を防ぐために雪囲をする。それは間に合ったのか? 雪はすでに壁のように積まれている。
「冬の田は玻璃戸をへだて冴えわたり五徳のほそ火のガスの音たつ」
判者評:『玻璃戸』はガラス戸、そこから見えるむなしき田、これを『冴えわたり』としたのが面白い。雪は「しんしん」と降るというが、作者は暖かい部屋のなかで音のない世界で、ただガスの音だけが聞こえる。雪国の冬枯れの風情
「山くだる木の葉の羇旅(きりよ)はなづみつつ時雨をかさね春は土くれ」
判者評:『なづみ』は行き悩む、木の葉の旅、美しくあるかなと思いきやと結句『土くれ』と虚しいのが面白い。『万物は土より生じ、土に還る』という言葉もある
「冬枯れてまことのなりぞ見ゆるかな花も照り葉も無き桜木の」
判者評:枯れ木の風情に感じ入る歌はあるが、この歌は王様の裸、幽霊の正体得たりと言った感じ。
「冬寒み露草つつむこおりばな踏みて音咲き散りか過ぎなむ」
判者評:夏に花をつけるつゆ草に、氷の花がつく。細かな自分だけの美の発見。下の句は不要かもしれない。例えば…「大君(おほきみ)の三笠の山の黄葉(もみぢば)は今日の時雨に散りか過ぎなむ」
「赤がくる黄がくる山の衣がえいまはかぎりのにしきと思はば」
判者評:冬の衣替えは歌にめずらしい。倒置が効いていない、『思へば、思はむ』とすべし。
「夏秋もいなばの山にふるゆきの波にまがへる冬の夕暮」
判者評:「いなば」がの掛詞、雪の波の見立て。それで下句は新古今らしい風情がミックスされて面白い試み。白波に夕暮れがまがえる(見間違える)のは若干違和感か。
「たぎりおちしたきの玉みづこほりけりをのへにみ雪はやつもるらし」
判者評:下流の変化で上流を知る、間接的に知るという、和歌のテクニックを踏まえている。その情景が美しくみごと。
※歌塾には初学者の方がたくさんいらっしゃいます。和歌は遠い古典教養ではありません、現代でも十分楽しめる座の文芸なのです。私たちと一緒に、古典和歌を「書き」「詠み」「遊び」つくしましょう。どうぞみなさま、お気軽にご参加ください。
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