百人一首は華やかなる王朝文化を今に伝える屈指のアンソロジー。学校で教わったこともあるでしょうし、お正月にカルタ遊びで触れたこともあるでしょう。和文化が加速的に廃れゆく今、気軽に古典文学に触れられる歌集として、この価値はいっそう高まっているように思えます。
しかし、だからといって百人一首がまるごと無邪気に賛美される文学かというと、そんなことはありません。みまさまもなんとなくお分かりでしょう、百人一首ってほんとのところ「つまんなくねぇ?」 って
百人一首は和歌界の偉人、藤原定家が編んだ百首歌です。この特徴の最大が「歌人の年代順」に歌が並んでいること、というわけで百人一首とは端的に「王朝の歴史物語」の再現でありました。
しかしそれゆえに、百人一首はつまらない歌集となってしまいました。どういうことか? 百首歌というものはおよそ配列や部といった構成を持っていて、これが百人一首の場合は歌人の順である、しかしこれ以外のほとんどの百首集は勅撰集のごとく「四季」や「恋」などの時系列順となっていて、これが歌と歌との有機的な結合を生み、いわば歌集に生命を与えている。のですが、百人一首にはこれがないのです。
つまり百人一首は採られた歌人こそ重要であって歌なんてのは二の次、そこに意図も脈絡もないものだから、結果として同じような歌がたくさん採られてしまった。冒頭で百人一首を「和歌のアンソロジー」つまり「和歌文化を総括するベストアルバム」のように記しましたが、じつのところそんなことはまったくなくて、同じような言葉、同じようなジャンル、同じような歌風だけの変化に乏しい退屈な、それこそ「つまらない歌集」であるのです。
つまらないその①「同じような言葉」
百人一首を眺めるとすぐ分かることがあります。それは、同じような言葉が続く歌が多いことです。
1「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」(天智天皇)
15「君がため春の野に出て若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ」(光孝天皇)
19「難波潟みじかき葦のふしのまも あはでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢)
88「難波江の葦のかりねのひとよゆへ 身をつくしてや恋わたるべき」(皇嘉門院別当)
11「わたのはら八十島かけてこぎ出ぬと 人には告げよあまの釣り船」(参議篁)
76「わたのはらこぎ出てみればひさかたの 雲居にまがふおきつ白波」(法性寺入道前関白太政大臣)
これらは同じような歌の顕著な例ですが、百人一首にはおおむねこのように同じような言葉、情景の歌がたくさん採られています。お手付きを狙った「カルタ遊び」としては秀逸な撰歌といえますが、和歌を代表する百首歌としては盛大に失敗してしまった構成といえるでしょう。
→「和歌の入門教室 本歌取り」
つまらないその②「同じような恋、しかも暗い…」
百人一首はといえば「恋歌」の印象が強いかもしれません、たしかにその割合をみると全体のおよそ半数が恋歌でありました。ほとんどの勅撰集や百首歌が恋と四季がほぼ同等の比率であるので、百人一首の恋に偏った歌集ともいえます。
■百人一首の構成
・恋:43首
・四季(春夏秋冬):32首
・雑部:20首
・羈旅:4首
・離別:1首
そして、です。これら恋の歌のほとんどが「忍ぶ」「待つ」「思う」「恨む」といった超ネガティブ思考。いくらなんでも、もう少し違うパターンはないのかと、くら~い気持ちに辟易としてしまいます。
40「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで」(平兼盛)
49「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ 昼は消えつつ物をこそおもへ」(大中臣能宣朝臣)
63「今はただおもひ絶なんとばかりを 人づてならでいふよしもがな」(左京大夫道雅)
85「よもすがら物思ふころは明けやらぬ 寝屋のひまさへつれなかりけり」(俊恵法師)
本来、和歌にはうぶな初恋のまばゆい恋の歌だってあるのに、百人一首はこんなのをほとんど無視してしまいました。
「ほととぎす鳴くや五月の菖蒲草 あやめもしらぬ恋もするかな」(よみ人しらず)
「春日野の雪間をわけて生ひいてくる 草のはつかに見えし君はも」(壬生忠峯)
「山さくら霞のまよりほのかにも 見てし人こそ恋しかりけれ」(紀貫之)
つまらないその③「総じてジジくさい」
和歌とは平安王朝を代表する文学でありますから、さぞ華やかであると思ってしまうのですが、じつのところ百人一首はすこぶる「ジジ臭い」歌集であります。それを象徴するのが「花」、たしかに日本美を飾る「桜」や「紅葉」なんてものが詠まれた歌もあるのですが、じつのところ最も多く詠まれている植物はなんと「雑草」なのです!
39「浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき」(参議等)
47「やへむぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師)
51「かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを」(藤原実方朝臣)
「茅」「篠」「むぐら」「さしもぐさ」や「葦」「しのぶ」なんてのはいわゆる雑草の類です。 これらがなんと11首も詠まれ最多登場。ちなみに桜、紅葉はそれぞれ6首に止まります。
言うなればこの百首、「わび」「さび」といったいわゆる「ジジ臭さ」で満たされた歌集なのです。百人一首が絢爛豪華、なんてのは大間違いであることが分かりますね。
20「わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王)
65「恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」(相模)
82「思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり」(道因法師)
つまらないその④「古くさい」
百人一首に採られた歌はすべて歴々の勅撰和歌集から撰出されています。これを勘定すると、第一が初代勅撰集である「古今集」からの撰出で、歌風を同じくする三代集(古今、後撰、拾遺)で百首のおよそ半分弱を占めるということになっています。
■百人一首の勅撰集別分類
・古今和歌集:24首
・後撰和歌集:7首
・拾遺和歌集:11首
・後拾遺和歌集:14首
・金葉和歌集:5首
・詞花和歌集:5首
・千載和歌集:14首
・新古今和歌集:14首
・新勅撰和歌集:4首
・続後撰和歌集:2首
初代勅撰和歌集である古今和歌集は「日本文化・伝統の基礎」というべきものかもしれませんが、基礎の裏返しは「凡庸」であると言えないでしょうか? じつのところ古今集から時代が下った「新古今和歌集」では、その三百年の間に鍛えられ洗練された和歌がたくさん採られました。
「梅花匂ひをうつす袖のうへに 軒漏る月の影ぞあらそふ」(藤原定家)
「白妙の袖のわかれに露おちて 身にしむ色の秋風ぞふく」(藤原定家)
「春の夜の夢の浮橋とだえして 峰にわかるる横雲の空」(藤原定家)
いわゆる「象徴歌」なんて評価されるこれら新古今歌は、現代の私たちにも新鮮な芸術であるように映りますよね。しかし、新古今集の後に撰集されたはずの百人一首にこれらの歌は見当たりません。新古今集の撰者でもあった定家は、いったいなぜこれらの歌を百人一首に採らなかったのか?
定家は新古今和歌集の編纂後、「近代秀歌」という歌論を執筆します。そこでは自らが切り開いた新古今歌を否定するかのように、紀貫之や近代の先達に習い、心ある歌「有心」や小野小町を代表とする「余情妖艶」を歌の規範とするよう強調しています。後鳥羽院との共同作業に相当参ったのでしょう(泣) …まあ分かりませんが、ともかく新古今時代以後、定家は伝統的な古今歌風を重んじ、中でも恋歌を重んじるようになっていくのです。
そして百人一首。これは定家晩年(75歳)の仕事でした。人生のいわば総仕上げというべき歌集で、彼は自身の美学をそのまま表現した。その結果が同じような暗い恋であり、ジジくさい歌であり、古くさい歌の偏重となって表れたのです…
ということで百人一首は藤原定家の美学の結晶ではありますが、あくまでも彼の晩年のということであり、百人一首が和歌文化を網羅的に扱ったベストアルバムということではまったくないのです。
もしあなたが「百人一首なんてつまんない」と思っていたとしたらそれはある意味正解であって、無邪気に百人一首を絶賛しているような人間に意見を合わせる必要もありませんし、なかんずく「古典向いてないかも」なんて悩む必要なんてまるでないのです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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