「令和三年歌会始」眞子内親王の歌(烏瓜の色)を読み解く

去る3月26日、コロナウイルスの影響で延期となっていた「歌会始の儀」が行われました。地味な伝統行事が一転、国民の注目を集めるようになったのはもちろん昨年詠まれた眞子内親王の歌が発端です。

「望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな」(眞子内親王)

詳しくは以下のページに記しましたが、
→「歌会始の詠進鑑賞 眞子内親王 ~作風の変化と望月の兎~

要約すると「平成三十一年までの眞子内親王のお歌は公務で得られたであろう経験を踏まえて詠まれていた、いわば歌会という仕事向けの歌であったが、それが昨年、突如夢うつつのようなご自身の内面をほの覗かせる歌に変わった。これにみんなが驚いて、いろんな憶測を呼ぶことになった」というものです。憶測とはもちろん、周知である恋心であることは言うまでもありません。

そんな令和二年を踏まえての今年のお歌がこちら。

「烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に」(眞子内親王)

いかがでしょう。私はすごく大胆かつ挑戦的な歌だと受け取りました。

「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」(平兼盛)

百人一首歌の四十番の歌が顕著な例ですが、和歌で「色」とは自然風景の色彩だけでなく人間の心の表象なかでも「恋心」表われとして詠むのが通例です、そしてそれは決して人前にさらしてはならぬもの…

「言ふことの畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも」(大伴坂上郎女)

このように詠んだ大伴坂上郎女の覚悟は相当なものですが、ともあれ「忍恋」こそ恋愛の美徳であり、万葉以来の日本人の文化的価値観であったはずです。

しかし! 眞子内親王は大胆にも「深まる愛」ならぬ「深まる秋」に真っ赤な「色に染まってゆく」と歌に詠まれた。もし「烏瓜」を「玉章」(ラブレター ※形状が結び文に似ていることからそのの異名をもつ)に見立てるなら、これは愛しい人からのメッセージであり、歌はそれを受け取った女の感動とになる。いずれにせよお二人の「色」つまり恋は熟れに熟れてクライマックスを迎えている、というような表明であるのです。

それだけではありません、同じく皇嗣妃紀子さま、佳子内親王の歌をご覧になってください。

「竹籠に熟るる黄色の花梨の実あまき香りは身に沁みとほる」(皇嗣妃)
「鈴懸の木から落ちにし実を割りてふはふは綿毛を空へと飛ばす」(佳子内親王)

花梨の実の「香りは身に染みて」には、あなた気持ちは十分わかっていますよ、「実を割って綿毛を空へと飛ばす」にはあの人をもう自由にしてあげて! と、受け取れないでしょうか。つまりは家族総出で眞子内親王の恋を認め、公に応援なさっているのです。そうした場合、お二人のご結婚も間近であるのでしょう。

いや~、今年の歌会始は昨年に輪をかけてエキサイティングでしたね。
と、皇室の方々の歌をこのように俗っぽく解釈していいのか? いいんです! そもそも歌会始の詠進は「題詠」です、古来題詠とは題に相応しいことが唯一で、自分を偽っても誰かに成り代わって詠んでもまったく問題なし、詠むのも自由であれば解釈も自由、それに現代において皇室の方々の歌で盛り上がれること自体が素晴らしいじゃないですか。

しかし個人的にはやはり、去年の歌(望月の兎)あっての今年の歌(烏瓜の色)ですから、世間の反応を予想しつつ、より大胆に挑戦というべきか、やむにやまれぬ表明というべきかが眞子さまにあったのだと感じずにはいられません。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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