むかし、としよりはこのように語った…
歌の病は避けるべきといってもな、実のところ古い歌の中にいくらでもある。
「梓弓おして春雨けふ降りぬ明日さえ降らば若菜摘みてむ」
こりゃいかん!『降りぬ』と『降らば』が見事に被っておる、これは言い訳できん同字病じゃぞ。
「あしひきの山がくれなる桜はな散り残れりと風に知らすな」
なんとなんと、こちらは『桜はな』と『知らすな』の『な』が被っておる。
どれもこれも病だらけではないか!
しかしな、ある程度の病は許されるのじゃ。実際『桜はな』は歌合せで勝っておるし、『梓弓』だって三代集に入ってるしな。まあ要するに、美人やイケメンにちょっと欠点があったとしても少しは目をつむっちゃうのと同じってことだ。
なにたとえが露骨!? むむ… さておき、普通程度の歌に病があったら、そりゃワシは黙っておらんぞ。
気を取り直して、これはどうじゃ。
「ことならば雲居の月となりななむ恋しきかげや空に見ゆると」(中務)
わかる? いや『なりななむ』じゃないぞ、文法的にあっとるし。『雲居』と『空』が同心病? 違うって、どんくさいなぁ、上句のはじめの『こ』と下句のはじめの『こ』が被ってるじゃろうが。これどう思う? 歌合の判者は難無きとしたが、ワシはどうかと思うよ。
きりがないので最後に、同字病の中でもとくに耳に立つ『岸樹の病』を教えてやろう。
「しら露もしぐれもいたくもる山は下葉残らずもみぢしにけり」(紀貫之)
あーあ、貫之パイセンもやっちゃたよ。やばくない? 初句の『し』と二句の『し』が被っとるんだぞ。こんなのは雑音と同じで最悪じゃ!!
と、偉そうに言ってみたものの、実のところ古い歌が病を避けて詠んでるようにはあんましみえんのぉ… これオフレコね。
としよりのひとり語りはつづく…
(聞き手:和歌DJうっちー)
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