大伴旅人 ~酒と涙と仲間と女~

新元号「令和」によって一躍有名人となった「大伴旅人」。
出典元の梅花の宴の「序」を記したことで、一時は連日その名を耳にしました。

しかし、旅人自身の歌やエピソードにはあまり触れられていないようです。
それでは面白くありませんね。旅人はものすごく魅力的な歌人なのですから!

旅人を表すキャッチコピーがあるとしたらこれでしょう、「酒と涙と仲間と女」。
河島英五のブルースを彷彿させる男臭さ、これこそが大伴旅人の魅力です。

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そもそも大伴氏は大化の改新以前の古代大和朝廷において、最高の官職である「大連」を担う大豪族の家柄でした。
失脚して物部氏や蘇我氏といった氏族にその座を奪われはすれど、この旅人だって公卿(従二位大納言)にまで昇るほどの大貴族。ちなみにその子家持もいろいろあれ従三位中納言まで昇ります。しかしその後大伴ファミリーは様々な政争に巻き込まれ、応天門の変で伴善男が失脚した以後は、公卿へ昇るものは出てきませんでした。

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ともあれ、万葉集およそ4500首のうち大伴ファミリー全体では700首強を占める一大勢力。同じ万葉歌人でも一世代前の柿本人麻呂や山部赤人といった下級官人とは違う「高級貴族の歌」という新しいジャンルを生み出しました。旅人はその代表格であったのです。

その際たる表れが「令和」の由来となった「梅花の宴」。
ここに参加したのは大宰府の高級官僚たちです。詠まれた32首の歌もそれに相応しい長高い歌ばかりです。
(一)万822「我が園に梅の花散る久かたの 天より雪の流れ来るかも」(大伴旅人)

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この宴の雰囲気からもわかるように、主たる旅人はお酒が大好きでした。
万葉集の巻三には「酒を讃むるの歌十三首」が詠まれています。

(二)万343「中々に人とあらずは酒壺に なりてしかも酒に染みなむ」(大伴旅人)
(三)万344「あな醜くさかしらをすと酒飲まぬ 人をよく見ば猿にかも似む」(大伴旅人)
(四)万347「よのなかの遊びの道に楽しきは 酔ひ泣きするにあるべかるらし」(大伴旅人)
「人でなかったら酒壺になって酒に染みたい」、「酒を飲まない奴は猿に似てる」。
すごっく痛快な歌です! 古今集以後の和歌では決してみられないアルコール賛歌。明治の歌人たちが惚れ込んだのは、万葉集のこのような詠みぶりだったのです。

さてそもそも、旅人はなぜ大宰府にやってきたのでしょう?
帥(長官)での赴任とはいえ、地方転勤なんて下級官僚の役割、公卿には相応しくありません。これにはいろいろ推測がなされていますが、一説によると長屋王排斥の一環だとされています。
しかもこの度の赴任の際、旅人はすでに60オーバーのご老人でした。心底嫌だったのでしょう、万葉集には故郷たる奈良の都を偲ぶ歌がたくさん残されています。

(五)万331「我が盛りまたをちめやもほとほとに 奈良の都を見ずかなりなむ」(大伴旅人)
(六)万332「我が命も常にあらぬか昔見し 象(きさ)の小川を行きて見むため」(大伴旅人)
(七)万334「萱草わすれぐさ我が紐に付く香具山の 古りにし里を忘れむがため」(大伴旅人)

しかも旅人は、連れ添ってきた妻大伴郎女を赴任先の大宰府で亡くします。
その悲しみはいかほどであったことか。
彼はまもなく帰京しますが、その旅路で詠んだ歌に私たちも強く心を打たれるはずです。

(八)万449「妹と来こし敏馬(みぬめ)の崎を帰るさに 独りし見れば涙ぐましも」(大伴旅人)
(九)万450「行くさには二人我が見しこの崎を 独り過ぐれば心悲しも」(大伴旅人)
いやいやながら、大宰府へ行く時に二人で見た折々の景色、やっと帰れるというのに隣に最愛の君はない。
飾ることなくおもむくままに心情が吐露された歌、私たちも自然と涙することでしょう。

旅人の大宰府赴任期間は、実のところわずか二年でした。
でもこの短い期間に、老人旅人はものすごい心を動かされたのです。なぜなら万葉集には彼の歌が少なくとも50首以上残されていますが、そのほとんどが大宰府赴任後に詠まれたものなのです。この転機は、大宰府の地で彼自身に相当衝撃的なことが巻き起こったとしか考えられません。

それは最愛の妻の死もひとつでしょう。しかしそれ以上に、仲間との出会いが大きかったんではないでしょうか。
ファミリーの一角たる異母妹の大伴坂上郎女、嫡子家持はもちろん、山上憶良や小野老、沙弥満誓ら筑紫歌壇の面々です。
彼らとの出会いが、旅人をして晩年に歌の花を咲かせたのです。

そういった意味では、「梅花の宴」は彼の人生を端的に表す非常にシンボリックな出来事だといえます。万葉集いや古典和歌ファンであれば、だれもが心に留めておくべきワンシーンですね。

さてエピローグです。
念願の都に戻った旅人でしたが、その翌年には亡くなってしまいます。
妻も仲間もいない都とは彼にどう見えたのでしょうか、想像もつきません。
しかし少なくとも大宰府の地は、旅人にとって第二の故郷となったのでした。

(十)万574「ここにありて筑紫やいづく白雲の たなびく山の方にしあるらし」(大伴旅人)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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