「歌会始の詠進鑑賞」眞子内親王 ~作風の変化と望月の兎~

毎年恒例の「歌会始の儀」ですが、令和二年は例年にない盛り上がりが一部でありました。何かといえば「眞子内親王殿下」の短歌です。その内容が、成就叶わぬフィアンセを詠んだとか詠んでないとかで、ゴシップのネタにされたのです。

真意のほどは置いといて、良い機会ですから「歌会始の儀」で詠まれた歌を鑑賞してみましょう。といっても私は和歌DJ、あくまでも古典和歌の視点での鑑賞です。

実のところ皇室の方々の歌と言っても、詠みぶりはほとんど現代の短歌風に移り変わっています。これは戦後ほどなく昭和三~四十年頃から顕著で、国民に寄り添う天皇として平易な詠みぶりを意図的になされたものだと思います。

さて、今回は話題になった「眞子内親王殿下」のお歌を鑑賞してましょう。宮内庁のWEBサイトを見ると、眞子内親王は平成二十四年歌会から詠進がみられます。

→「歌会始 お題一覧

まず前提として「歌会始の儀」ですが、これはあらかじめ題が決められた「題詠」となります。毎年漢字一字が定められ、これを音訓問わず必ず入れることが求められます。

その上で眞子内親王の詠進を拝見すると、この「題」に対するしがらみが良くない形で表れています。題のために、過去のご公務の体験を強いて持ち出している感じがするのです。

平成三十一年『光』
「日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人語るわかうど」

平成三十年『語』
「パラグアイにて出会ひし日系のひとびとの語りし思ひ心に残る」

平成二十七年『本』
「呼びかける声に気づかず一心に本を読みたる幼きわが日」

ですからついつい直接的で散文的で、「歌」としては物足りなくあります。

完全に憶測ですが、もしかしたら「歌会始の儀」が単なる仕事のひとつになってしまわれたのかもしれません。と、このように不躾ながら申し上げるのも、眞子内親王のお歌は詠進初期の作品が圧倒的に輝いているのです。

平成二十六年『静』
「新雪の降りし英国の朝の道静けさ響くごとくありけり」

英国エディンバラ大学に在学中、冬の朝のワンシーン。「静けさ響く」という言葉ひとつが想像力を掻き立て、詠まれた風景に命を宿しています。

平成二十四年『岸』
「人々の想ひ託されし遷宮の大木岸にたどり着きけり」

式年遷宮行事でご覧になった御木曳(川曳)の様子。眼目は「たどり着きけり」、眼前をゆく大木岸だけでなく、その背景に流れる悠久の時の流れを想像させる雄大な歌です。

題に囚われず歌をお詠みになったら、きっと眞子内親王は名歌を沢山残されると思います。

さて、最後に話題のこの歌です。
令和二年『望』
「望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな」

先の歌々と比較してみてください、この歌は過去のどれとも似ていません。

※ちなみに古典和歌で月にあるのは「桂」です。しかし眞子内親王は「兎」を詠まれました。満月に兎とは極めて幼い発想ですが、詞書きにはそもそも「幼い頃にお聞きになった伝承」がもとになったと記されています。

令和二年の題は『望』でした。だからでしょうか、これまでの詠進は全て「過去」が歌われていたのに対し、令和二年歌は「持ちつぎゆかな」と「未来」が詠まれています。さらにこの歌、ほとんど空想的で以前のような経験をそのままお詠みになるスタイルから大きく離れています。

「未来」と「空想」、この二つはこれまで眞子内親王が詠まれなかった新な作風といえるでしょう。これにフィアンセへの思慕を見るのは拡大解釈として、来年の眞子内親王の詠進が楽しみになりました。

※加筆
記事を書いた後で知ったのですが、平成二十九年の婚約内定会見で眞子内親王は小室さんを「月のように静かに見守って下さる存在」とおっしゃっていたそうですね。となると「望月」は十五夜の月(満月)ということではなく、間に返り点を打って「月を望む」ということ?… これ以上は言うのも野暮になりそうです。

→関連記事「歌会始の詠進鑑賞、佳子内親王 ~その作風と題詠のポイント~

(書き手:和歌DJうっちー)

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