歌詠みの手引き、和歌の型

さあみなさん、歌を詠みましょう!
と言われてもなかなか詠めるものではありませんよね。

感じたままを三十一文字にまとめればいいのです!
などと言われると、これが余計に難しい……
だいたいの人間にとって、素の感情を出すなんてよほどの覚悟が必要です。

しかし、和歌は「感じたまま」を表わす文芸ではありません。ルール無用でなんでもありの現代短歌とは違うのです。
和歌とは歴史的に積み上げられた、ある「型」にあてはめて詠むものです。
今回は歌詠みの手引きとして、和歌の型をご紹介しましょう。

まず大前提として、和歌は「美」を志向する文芸です。
そして美とは「自己の内面の輝き」、私はこう考えています。
→関連記事「美とはなにか?

和歌ではこれを直接的でなく、自然に反照された現象に捉えるのです。

そして、ここからが重要。
内省(無意識を含む)によって写し取られた自然は、ある規定をもって歌に詠まれます。
これは全ての型の基礎というべき型、和歌の根本姿勢、
「無常」「虚無」「悲哀」…… 惜しめども散りゆく花、決して叶わない恋、
「花=美」に寄せる「絶対希求」です。

和歌にとって美とは、決して手に入れられぬ「永遠の存在」なのです。だからこそ輝き、求め続ける。
このような志向が和歌の根底にある! 肝に銘じておいてください。
これを理解していないと和歌は和歌になりませんし、正しい鑑賞もできませんから。

さて、「絶対希求」を歌の基礎型に据え、その上にいくつかの子型を重ねることで和歌は多様な美を生じます。
詠歌の手引きとなるのは、この子型になります。いくつかご紹介しましょう。

一の型「写生」

写生とは「事物を見たままに写しとる」ことです。
明治の歌人正岡子規らが唱えて以降、現代詩歌の基本姿勢となりました。

しかし冒頭でお話ししたように、「見たまま」「素直に」というのはかなり曲者です。
真に受けて本当にそのままの写生歌は、たいてい歌になっていません。
和歌の写生には一定のお作法があります。

「若菜が芽吹く」、「花が散り出す」。
このような四季の移ろいを象徴する「自然=もの」の一瞬を捉えるのです。
ものは単なるものではなく、四季の移ろい果ては人生のそのものの写像。叙景に見え隠れする人事が写生歌に深みと余韻を生じます。

ちなみに歌に詠まれる自然叙景は類型化されています。まずはこのパターンを覚えましょう。
「万葉集」が写生歌の優れた手引きとなります。

■写生歌例
「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり 心悲しも 独りし思へば」(大伴家持)
「夏恋ふて 空のかよひ路 うち返し 帰るツバメに すぎる秋風」(うっちー)

二の型「創見」

ルールが厳格な和歌は四季が類型化されている、つまり詠むべき叙景が決まっています。
そうなるといきおい、自分だけの新世界を描きたくなるのが歌人というもの。
このような場合に使える型が「創見」です。

「芽吹いた若菜の色の違い」、「散る花弁の行き先」。
創見の型は写生の発展といえますが、平凡な写生では決して捉えられない
自分だけが見つけた自然細部の移ろい、その深部を歌にするのです。

ありのままの写生では決して現出しない、見ようとして見る美の深淵。
汎用な和歌から逸脱したい場合にぜひこの型を使ってみてください。あなただけの新世界が広がるはずです。
例えば「玉葉和歌集」が、新世界創造を導いてくれます。

■創見歌例
「枝にもる 朝日の影の すくなさに 涼しさふかき 竹のおくかな」(京極為兼)
「露しぐれ 秋の形見と もみじ葉の むすぶ雫に 宿る月影」(うっちー)

三の型「修辞」

何かというと「ありのまま」がよしとされる現代、
詩歌でも一段と低くみられるのが「修辞」が凝った技巧的な歌です。

「掛詞」「縁語」「序詞」「見立て」……
しかし和歌を和歌たらしめているのは様々な修辞法なのです。
元来和歌とは「言葉あそび」であることを忘れてはなりません。
そしてこれこそが、貴族の知識であり教養であったことを。

複雑な修辞法が和歌を分からなくしている、と言う人もいるでしょう。
しかしそれは全くの逆です。
修辞法というからには一定のルールつまり共通理解の型があるのです。
これを正しく活用できれば、それだけでも和歌らしい和歌になる。使わない手はありません。

修辞とはいわば言葉から始まる歌。「古今和歌集」をご覧になってください。
趣向を凝らした技巧歌があなたのバイブルとなります。

■修辞歌例
「霞たち このめもはるの 雪ふれば 花なき里も 花ぞちりける」(紀貫之)
「紫陽花の あじきなき身に なりぬらし ゆつこそやまね 雨は降りつつ」(うっちー)

四の型「象徴」

和歌に豊饒な美を感じたとしたら、その歌はたいてい象徴歌です。
四季の移ろいが詠われつつも、同時に恋の悲哀を感じる。
この一首にみえる多義性は、言葉や叙景の象徴性によって成されます。

象徴を型とするのは難があるかもしれませんが、
先に挙げた「写生」と「修辞」すなはち「心」と「言葉」が止揚する型を意識することで、
歌に象徴性つまり複雑多岐なストーリーを含意できます。

象徴歌は和歌美の到達点、もちろん難易度も高い。
しかし、せっかく歌の道に踏み出したのです。ぜひ高みを目指しましょう。
「新古今和歌集」に、和歌の理想が凝縮されています。

■象徴歌例
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」(藤原定家)
「秋風に 乱れる髪の 知りもせで 一人かきやり 松の爪櫛」(うっちー)

(書き手:和歌DJうっちー)

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