「和歌」の構造

和歌の構造は「何を言うか」そして「如何に言うか」の二軸のマトリックスに表現できます。
「何を言うか」の両極には「人事」と「自然」が、「如何に言うか」には「心」と「詞」がそれぞれ位置し、三大集など知られた勅撰集も図表内に整然とプロットすることが可能です。

「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業しげきものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり」
(古今和歌集仮名序 紀貫之)

和歌のスタイルを大きく二分する万葉集と古今和歌集は、それぞれ心と詞の極みに位置し、歌風の違いを際立たせています。ゆえに益荒男vs手弱女といった論争を多く生む要因ともなりました。
しかし和歌史も下り「新古今和歌集」や「玉葉・風雅和歌集」にもなると心と詞は収斂され、両者は見事に合一され芸術の高みに昇ります。これらの違いは人事(深層)と自然(表層)、いずれを強く表現するかという対象の違いになったのです。
ちなみに新古今集は心と詞を創造的に膨らませて(狂言綺語)、玉葉・風雅集は心と詞を削ぎ落し対象に没入(実相観入)して、結果的に双方がバランスするに至ります。

「心・詞のふたつは、鳥の左右の翼の如くなるべきにこそとぞ思う給へ侍りける」
(毎月抄 藤原定家)

「こと葉にて心をよまむとすると、心のままに詞のにほひゆくとはかはれる所あるにこそ」
(為兼卿和歌抄 京極為兼)

和歌の構造の中心には「歌語」が位置します。歌語とは心と詞、人事と自然の表裏を合わせる言語フレーム。これこそが和歌を和歌たらしめる基礎中の基礎となります。
和歌はその名の通り「和すること」を目的としています。それは時間と空間、他者との協調です。一方で和歌は「自我の表現手段」とも成り得る、つまり背反する作用を持っているのです。協調が進めば修辞法などによる遊戯的要素が高まり、独創が進めば芸術的な作品としての印象を強く与えます。

初学者はこの全体像を理解し、まず協調・類似性の高い和歌の「型」を身につけることから始めます。といっても、早急に修辞法などの技法に頼るのは禁物です。和歌の根幹が身についていないままでいわば化粧というような修辞法を使っても、それは字面だけ和歌のような醜悪な言葉遊びに過ぎません。
※マトリックス図内【Step1】

「歌語」と「律動」の基礎をしっかりと固め、その後に古歌にならった「趣向」や掛詞や縁語などの「修辞法」を取り入れてみましょう。それはすでに和歌らしい和歌になっているはずです。
※マトリックス図内【Step2】

歌にきちんとした型ができていれば、要所で自分独自の趣向やことば遊びを取り入れても崩れることがありません。むしろ古歌の声調を脱して、現代の和歌というものに成り得る一歩となるでしょう。
※マトリックス図内【Step3】

和歌の最終的な到達点は「有心」です。かの藤原定家が唱えたものですが、これが意味するものはなにか? このように考えるころには、すでに「有心」に開眼する手前まできているはずです。

令和和歌所ではこの「和歌の構造」をベースにして基礎を一から身につける、いわば現代の「古今伝授」を行っています。
和歌には1500年以上もの歴史がありますから、確かにその学習は一朝一夕ではいかないでしょう。しかし和歌の構造をベースにした「型」を身につければ、その理解のスピードは断然速まります。実のところ日本文化の学習とはすべからく、この型によって効率化され伝承されています。

和歌は日本文化すべての源泉です。和歌の型を知ることは日本文化を知ることなのです。
ぜひこの「日本の型」を身につけましょう。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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