むかし、としよりはこのように語った…
歌の病を避けること、これは古来より口酸っぱく言われておる。病と言っても病気のことではないぞ、歌を詠むうえで必ず避けるべきことがらじゃ。しかしこれを厳格にしすぎるととてもお前なんぞが歌を詠めたもんではない。そこで、最低限避けるべき病(歌病)を教えてやろう。
まず『同心の病』じゃ。
「山桜咲きぬる時はつねよりも峰の白雲たちまさりけり」(紀貫之)
「もがり舟いまぞ渚によするなる汀のたづの声さわぐなり」
さて、分かるよな。『山』と『峰』、『渚』と『汀』これらは字面は違えど意味は同じである。
次に『同字の病』。
「みやまには松の雪だに消えなくにみやこは野辺に若菜つみけり」
わかるか? 上句の『みや』と下句の『みや』が被っておるだろう。
こんなのもあるぞ。
「いまこむと言いひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな」(素性法師)
『月』が被っておろうが月が! たしかに、長月の月は“Month”の月であり、有明の月は空に浮かぶ月だから意味はちがう、しかし字は同じであることに変わりなない。
お、なにやら不満ありげの顔つきじゃの。『同字の病』なんていくらでもあると、わしと論じたいのか?
ばかもん! 九百年はやいわ。
「難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」
「浅香山かげさへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」
『この花』に『浅』、いくら歌の父母といわれるこれらの歌であろうと、病であることは揺るぎない!ただな、この父母だって病があるのだから、それを受け継いできた子孫たる我々の歌に少々の病があっても、まあしょうがないということじゃ。
歌の病については、もうすこし詳しくしてやろうかの。
としよりのひとり語りはつづく…
(聞き手:和歌DJうっちー)
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