「月は隈なきをのみ見るものかは」仲秋月に寄せて

「月は隈なきをのみ見るものかは」とは言わずもがな、かの兼好法師が「徒然草」に残した名言です。ようするに「お月さまはくっきり見えるのだけがいいんじゃないよ」ということで、中世のわびの精神が端的にあらわれていると評価されています。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ」
徒然草 第百三十七段

しかしどうでしょう、私みたいなひねくれものには文人兼好の「物知り顔」が浮かんできて、正直好きになれません。本物の風流人ならこんなことわざわざ言わないでしょうし(言ってほしくない)、せいぜい芭蕉の「おもふところ月にあらずといふ事なし」で十分だと思います。
※同様に茶人村田珠光の「藁屋に名馬をつなぎたるがよし」もいけ好かない言葉です

ただ兼好法師があえて書き残すくらいに、かつての歌人らが「隈なき月」を求めたのも確か。

拾遺177「よもすがら見てをあかさむ秋の月こよひの空に雲なからなむ」(平兼盛)
金葉274「すみのぼる心や空をはらふらむ雲のちりゐぬ秋の夜の月」(源俊頼)
詞花100「天つ風雲ふきはらふ高嶺にて入るまで見つる秋の夜の月」(良暹法師)
詞花103「秋の夜の露も曇らぬ月を見て置きどころなきわが心かな」(隆縁法師)

不思議なのは「隈なき月」をことさら詠みだしたのは平安も中後期ごろからで、初代勅撰集たる古今集では秋の月にかかる雲を気にする様子はありません。
実のところ「隈なき月」には別の意味があったのです。

千載1207「月影のつねにすむなる山の端を隔たる雲のなからましかば」(国房)
新古今1934「われ心なほ晴れやらぬ秋霧にほのかにみゆる有明の月」(公胤)

わかりましたか? いや、わからないですよね。じつは上の二首は「秋歌」ではなく「釈教歌」なのですが、ようするに「隈なき月」とは「仏教的悟り」の象徴であったわけです。

ですから秋歌の月にある「雲」とは、いわば「迷い」や「煩悩」ニュアンスを孕んでいて、「仲秋の名月がくっきりと見えたらいいな」という風景の裏に「煩悩が晴れたらいいな」という心境を含んでいるということなのです(すべてがそうとは言いませんが)。

これを踏まえると、坊さんである兼好法師が「月は隈なきをのみ見るものかは」と言い放ったのは挑戦的です。「心に曇りがあってもいいじゃないか」という言葉は親鸞とも通じ、中世宗教者の思想の深さを感じささせてくれます。まあ、そんなつもりは兼好法師には毛頭ないだと思いますが。

兼好法師は例のエッセイで立派なことを言っておきながら、こんな歌を残しています。

「もろともになかめぞせまし秋霧の隔つる夜半の月はうらめし」(兼好)

やはり中秋のお月見は雲ひとつない様を愛でたい、というのがみなさんの本音なのでしょう。

→関連記事「見てはいけない!? 本当の中秋の名月」

(書き手:歌僧 内田圓学)

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