一首探究「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(在原業平)

「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(在原業平)

業平を語る上でけっして欠かすことができない一首。古今集恋五の巻頭を飾り、伊勢物語の第四段にも載るこの歌には、長い詞書が添えられている。

 昔、東の五条に大后の宮おはしましける西の対に、住む人ありけり。それを、本意にはあらで、こころざし深かりける人、行きとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかに隠れにけり。あり所は聞けど、人の行き通ふべき所にもあらざりければ、なほ憂しと思ひつつなむありける。
 またの年の正月に、梅の花盛りに、去年を恋ひて、行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に、月の傾くまで伏せりて、去年を思ひ出でて詠める。

記されているのは五条の大后(文徳天皇の母順子)の西の対に住んでいた人、すなわち大后の姪である高子との、なりゆきから始まった情熱的な恋愛、そのあっけなく終わってしまった顛末だ。この詞書があることで歌は物語となり、わたしなどはここに「伊勢物語」という色好み文学の端緒をみる。

いにしえの歌人らはこの「物語」にたいそう惚れ込んだようで、数多のオマージュを捧げている。そのピークはやはり新古今だろう。

「梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月の影ぞあらそふ」(定家)
「梅か香にむかしをとへば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる」(家隆)
「梅の花あかぬ色香もむかしにておなじ形見の春の夜の月」(俊成女)

梅の香、春の月、軒もる月、昔の月…
いずれも四季歌でありながら妖艶、複雑怪奇でまさに「新古今」という歌であるが、「月やあらぬ」の詞書をも含んだあの「物語」に感化されて詠まれた歌であるとわかれば、梅の香りは昔の女であり、月は虚無の象徴であることがわかるだろう。余情妖艶ここに極まれりといった感じだ。

では「月やあらぬ」を一首の歌としてみたとき、魅力に欠けるかといえばそうではない。このわずか三十一文字ばかりに、在原業平という人間の性質がはっきりと表れている。

「月はかつての月ではないのか、春は昔の春ではないのか、わたしだけが元の身のままで」

なにも変わらない自分と、まるで変ってしまった春の夜の月。その見事な対比に、人生の、この世の疑念そして虚無がみごとに表されている。

おもしろいのがこの歌、月と春にある「や」を疑問と見るか、反語とみるかでまったく意味が変わることだ。疑問とすれば「月と春が変わってしまって、自分は変わらない」となり、反語とすれば「いや、月と春は変わらず、変わったのは自分であった」となる。詞書からの流れを受ければ「疑問」が自然だし、多くの解説書もそう解釈している。しかし、これは本来ありえない発想なのである。こんな漢詩がある。

「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」(劉希夷)

人口に膾炙する有名な文句にあるとおり、決して変わらないの自然で、年ごとに移りゆくのが人間なのである。本朝歌人もこの考えに同調した、例えば友則もこのように歌う。

「色も香も同じ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける」(紀友則)

とした時、業平はまったく逆転した発想で詠んでいることがわかる。自然風景が変わってしまって、わたしは変わらないというのだから。これは業平が受けた仕打ち(女を隠された)に対して自然と口から出たものでは決してない。当然ながら「歳歳年年人不同」を踏まえて、しかし俺は変わらないと表明しているのだ。つまりこれは嘆きの裏にある反骨である! 業平を「うち泣きて」ばかりの軟弱な色男だと思わない方がいい。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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