【百人一首の物語】三十番「有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし」(壬生忠岑)

三十番「有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし」(壬生忠岑)

壬生忠岑は古今撰者の一人。四十一番忠見の父として知られるが、その実彼の出生はベールに包まれており官位も不明、貫之(従五位上)、躬恒(六位程度)より高いとは考えられず、おそらくかなりの下級官人であったことだろう。
しかし歌は一級、古今撰者の一人に大抜擢された。後世にも彼のファンは多くて公任、定家らもそれを公言して憚らない。

忠岑は古今撰者でありながら、古今とは最も遠いところにいる。貫之に代表されるような理知、修辞を駆使した歌はほとんど見えず、この時代には稀有な抒情豊かな歌をたくさん残した。だから四季より恋※1,2に佳作が多く、この点も定家好みだったのだろう。

百人一首に採られたのも恋の歌であった、それは有明月の別れ。
この百首には有明の時分と思わしき月が六首ほど採られているが、そのほとんどが“無”を際立たせるための“有”として存在する。ぽっかりとあいた虚無の空間、そこただひとつ月のみが浮かぶ風景。しかもその月とて、やがて陽光の裏に消え失せてしまうのだ。

恋とは残酷であり、むしろ男女は出会わない方が幸せかもしれない。いかに逢瀬を遂げようと別れは必至、その絶望は遂げられぬそれをはるかに凌ぐ。忠岑の絶唱は見事に物語っていよう。

※1「春日野の雪間をわけて生ひいてくる草のはつかに見えし君はも」(壬生忠岑)
※2「命にもまさりて惜しくある物は見はてぬ夢の醒むるなりけり」(壬生忠岑)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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