【百人一首の物語】八十八番「難波江の芦のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋わたるべき」(皇嘉門院別当)

八十八番「難波江の芦のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋わたるべき」(皇嘉門院別当)

既視感のある歌ですがそれもそのはず、同じ百人一首の十九番※1と二十番※2をあわせたパクリ歌ではありませんか。これは作者たる皇嘉門院別当が悪いのではなく、この百首ばかりの撰歌集にわざわざ採用した定家御大の適当な仕事を非難すべきでしょう。

しかも定家は自身の歌論で、パクリ(本歌取り)についてこのように述べています。

詮と覚ゆる詞、二つばかりにて、今の歌の上下句に分かち置くべきにや。たとへば「夕ぐれは雲のはたてにものぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて」と侍る歌を取らば、「雲のはたて」と「もの思ふ」といふ詞を取りて、上下句に置きて、恋の歌ならざらむ雑・季などに詠むべし
毎月抄

よく知られた歌(本歌)の詞を分けて、恋の歌なら雑や季節の歌に詠みかえなさい!
とまあご立派なアドバイスなのですが、この八十八番はそんなテクニックなど顧みられず、潔いまでのパクリで仕上がっています。

それでもこの歌、当世の評判は悪くなかったことでしょう、定家の父である俊成も「千載集」に採ってますしね。その理由を考えてみるに、私は「難波」づくしにあると思います。

難波は淀川の河口あたり。今は面影はありませんが、むかしは低湿地で芦が生い茂る荒涼とした土地でありました。ということで「芦」の風景は欠かせません。また土地柄ゆえ浅瀬が多く、舟の安全な航行のために立てられた「水脈つ串」もまた難波らしい風景でした。
意外なところでは「遊女」です。淀川を少し上ったあたりの「江口」には遊女の宿があり、平安後期にはその文脈でも多く歌※3が詠まれています。

皇嘉門院別当の「難波江」はパクリ歌だといいましたが、十九番と二十番にはないのがこの「遊女」の要素。「芦の刈根の一節ではないが、ただ一夜の仮寝のために身を尽くして…」というのは、儚き身の上の遊女の恋心ということなのです。ということで「芦」「みをつくし」「遊女」と、見事な難波づくしが出来上がりました。

ちなみに歌にはありませんが難波にはもうひとつ、忘れてはならないものがあります。何かといえば「梅」です。

「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」

古今和歌集の仮名序に「歌の父母」として挙げられ、今も競技かるたの序歌として有名なこの歌。和歌で花といえば桜だといわれますが、この歌は初春の花ということで梅の花です。

謡曲「弱法師」にはこのような一節があります。

「うたてやな難波津の春ならば、ただこの花(梅)とこそおほせあるべきに」

ということで、さらに梅が詠まれていたならば、皇嘉門院別当の歌にはだれも文句がつけられない、難波津を象徴する完璧な歌となったことでしょう! たぶん…

※1 「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢)
※2 「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王)
※3 「世中をいとふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」(西行)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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