【百人一首の物語】八十一番「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」(後徳大寺左大臣)

八十一番「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」(後徳大寺左大臣)

「ほととぎすが鳴いている方を見たら有明の月があった」。なんのひねりもない、ただそれだけの歌です。題は「暁聞郭公(暁に郭公を聞く)」ということで、なんと、ほとんど題をなぞっただけの歌ではありませんか。工夫があるとすれば、上句の視覚から下句の聴覚へと風景を転じていることくらい。にしても「ただ」なんて修辞がわざとらしく、いたって平凡な歌… を、定家はなぜ百人一首に採ったのでしょう?

私はこの歌の眼目を、題自体にみます。じつのところ和歌において「ほととぎす」はひときわ重要な歌語です。王朝歌人は「ほととぎす」の一声によって『夏の到来を知り』、『恋心を助長させ』、『死出の山の道案内』をする、このような多様なイメージを重層させる言葉、景物が「ほととぎす」なのです。つまりこの「暁聞郭公」という題は、一晩中待ちわびていたその初音をついに聞くことができた、その明け方の静粛の感動そのものであったというわけです。

そんな重要な「ほととぎす」ですが、百人一首には八十一番歌にしか登場しません。これはじつに違和感のあることで、例えば古今和歌集の「夏」を見渡せばその三十四首のうちなんと二十八首にほととぎすが詠まれています。ようするに「ほととぎす」とは和歌における夏の象徴なのです。百人一首に夏の歌は以下四首ありますが、八十一番以外には「夏」の文字を必要としていることからもそれがわかるでしょう。

「春過ぎて来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 」(持統天皇)
の夜はまだ宵ながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ 」(清原深養父)
「風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞのしるしなりける」(従二位家隆)

定家が数多の「ほととぎす」から徳大寺実定のを選んだのは、実定の没個性に注目し、「ほととぎす」のそのものの抒情を優先した結果かもしれませんね。

さて、その没個性の男こと徳大寺実定は正二位の左大臣とエリート中のエリートです。詩歌管絃に優れ、教養豊かな文化人だったとも伝わりますが、一方で「徒然草 第十段」に「この殿(実定)の御心さばかりにこそ」と徳大寺の家人であった西行が実定を批判するような記述もみられて、文化人としては微妙な評価です、それはこの八十一番歌をなどをみれば頷けるところもあります。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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