四十一番「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひ初めしか」(壬生忠見)
(前歌より続く)
天徳内裏歌合のその最終二十番、兼盛と忠見の勝負の結末は…
いずれも甲乙つけがたく判者(藤原実頼)は悩んだすえに「持」、引き分けにしようとしました。しかしこの歌合わせ、主催者たる天皇もご覧になっていたんですね、天皇はこの勝負を中途半端に終わらせたくなかった、判者に勝敗を決するように迫る、困った判者、判者補佐たる源高明に助けを請うが平伏して逃げおおせてしまう、追い詰められた判者、プレッシャーに冷や汗がとまらない!
この場を打開したいのは天皇でした、みずから「しのぶれど」と口づさみそれとなく勝敗をつけたのです。胸をなでおろした判者の顔が目に浮かびます。
たしかに兼盛の「しのぶれど」の方が素直で耳ざわりがよく、印象に残りやすい歌だとは思います。しかし敗れた忠見の「恋すてふ」、倒置による調べは切迫感を強くし題詠とは思えない“しのぶ恋の本意”に迫る名歌ではないでしょうか。そう思うと兼盛の歌は風雅がまさって、わざとらしく嫌味な歌に映ることでしょう。
ともあれ勝負は勝負、兼盛は得意だったと思いますが負けた忠見はというと、、 彼は人生を悲観し食事も喉を通らないありさま、そのまま憤死したといいます。これは少々誇張を含んだつくり話かもしれませんが、当時の歌人における歌合せとはなんたるかを教えてくれます。
ちなみに天徳内裏歌合は二十番の勝負でしたよね、それが時代が下ると六百番ついには千五百番なんてとんでもない歌合も行われます。こんな所業、まともな人間がやることではありません。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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