「不遇恋(あはざるこひ)」は恋しい人に逢うことが出来ないことやその辛さを詠んだ歌です。歌の心情としては現代人にも通じますから、詠みやすい歌題といえるでしょう。ただ辛さで涙にぬれることを「袖や袂」で表したりするのが古典の常套ですから、そのへんの勘所は古歌をよく見習ってください。
それではよく知られる「不遇恋」の歌をご紹介しましょう。
『古今和歌集』恋より
題しらず
「かたいとをこなたかなたによりかけてあはずはなにをたまのをにせむ」(よみ人しらず)
やまとに侍りける人につかはしける
「こえぬまはよしのの山のさくら花人づてにのみききわたるかな」(貫之)
題しらず
「わがこひはゆくへもしらずはてもなし逢ふを限と思ふばかりぞ」(躬恒)
「今ははやこひしなましをあひ見むとたのめし事ぞいのちなりける」(深養父)
「いのちやはなにぞはつゆのあだ物をあふにしかへばをしからなくに」(友則)
「秋ののにささわけしあさの袖よりもあはでこしよぞひちまさりける」(業平)
「見るめなきわが身をうらとしらねばやかれなであまのあしたゆくくる」(小野小町)
※『伊勢物語』第二十五段に業平と小町の贈答として載っている。
むかし、男ありけり。あはじともいはざりける女の、さすがなりけるがもとに、いひやりける。
「秋の野にささわけし朝の袖よりもあはで寝る夜ぞひちまさりける」
色好みなる女、返し、
「みるめなきわが身をうらとしらねばや離(か)れなで海人の足たゆく来る」
『かげろふ日記』上より
秋つかたになりにけり。添へたる文に、「心さかしらついたるやうに見えつるうさになん、念じつれど、いかなるにかあらん、しかのねもきこえぬ里にすみながらあやしくあはぬめをもみるかな」とあるかへりごと、「たかさごのをのへわたりにすまふともしかさめぬべきめとはきかぬをげにあやしのことや」とばかりなん。
又、ほどへて、
『あふさかのせきやなになりちかけれどこゑわびぬればなげきてぞふる』
かへし、
『こえわぶるあふさかよりもおとにきくなこそをかたきせきとしらなん』
などいふ。
『堀河百首』不逢恋より
「おもひあまり人にとはばやみなせ川結ばぬ水に袖はぬるやと」(公実)
「我が恋はよしのの山のおくなれやおもひ入れども逢ふ人もなし」(顕季)
「よと共にあべのうらとの思へども袖のみぬれてかひなかりけり」(顕仲)
「ははきぎにあらぬものゆゑわぎも子にあはぬ恋してよをつくせとや」(基俊)
※「そのはらやふせやにおふるははきぎのありとてゆけどあはぬ君かな」(『古今和歌六帖』第五「くれどあはず」三〇一九)を踏まえている。
「つれなきに思ひもこりて恋ひわたる我が心をぞ今はうらむる」(肥後)
「いたづらにあはで年ふる恋にのみくちぬる袖を猶いかにせん」(紀伊)
「御空行く月よみ男ならなくに有りとはみれどあはぬ君かな」(河内)
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