【百人一首の物語】十八番「住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人めよくらむ」(藤原敏行朝臣)

十八番「住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人めよくらむ」(藤原敏行朝臣)

名うての貴公子が連なる十番台において突如謎の男が現れた、藤原敏行である。ちなみに業平にもあった「朝臣」だが、これは天武天皇が制定した八色の姓におけるナンバー2の地位に相当する。しかし平安時代になると序列の意味はなくなり、たんに五位以上の貴族といった意味合いになる。なので実名丸出しの貴族よりは幾分マシ、といったのがこの朝臣という人たちだ。

さて敏行だが、ほとんどの人がその存在を忘れてやしないだろうか、あくまでも私の感想だが。。しかし敏行は三十六歌仙の一人に数えられ、古今集にはなんと十九首も採られている。そう、実のところ敏行は古今集にはなくてはならない歌人、貫之よりも貫之らしく、古今集マン・オブ・ザ・マッチというべき重要歌人なのだ。

正岡子規は「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」とまくし立てたが、その実貫之はさすが古今を代表する歌人らしく批判に収まらぬ風雅の歌※1をいくつも残している。それでいくとつまらぬ古今集を代表するのが、誰あろうこの敏行朝臣である。例えば風の音に秋を知り※2、萩と鹿の取り合わせる※3というような和歌の典型つまりコテコテの古今調を、敏行は量産しているのだ。
なんという罪、などと私は断じて思はない。むしろ敏行は偉業を成し遂げた、古今調という和歌の基本、典型、詠むべきルールの決定に多大な影響を及ぼしたのだから。

百人一首歌もそうだ。「住の江」の序、「寄る」と「夜」を掛け風景と人事を交換する手法など、古今恋歌のまさに見事な手本である。私たちは貫之の前に、敏行にもっと和歌を学ぶべきだろう。

※1「さくら花散りぬる風の名残には水なき空に浪ぞ立ちける」(紀貫之)
※2「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおとろかれぬる」(藤原敏行)
※3「秋萩の花さきにけり高砂の尾上の鹿は今や鳴くらむ」(藤原敏行)

(書き手:内田圓学)

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