辞世の歌 その26「極楽も地獄も先はありあけの月ぞこころに懸かる雲なし」(上杉謙信)

上杉謙信ほど謎めいた武将はいないでしょう。謙信は越後守護代であった父、長尾為景の末子として誕生、病弱であった兄に譲られるかたちで家督を継ぎました。
「越後の虎」と呼ばれた謙信の人生は、まさに戦の人生でした。武田信玄とののべ5回にもわたる「川中島の合戦」は有名ですが、北条氏康や織田信長といった戦国屈指の武将らとも干戈を交えています。

興味深いのが、彼の戦の動機が領地拡大といった私欲だけではなかったということ。川中島の合戦も信玄に領地を奪われた村上義清、高梨政頼らを助けるためであり、北条との戦いも関東管領であった上杉憲政の窮地を救うためでした。
下剋上の乱世において、謙信はなぜにもこのように他者のために命を懸けたのか? それは彼の旗印に記された「毘」の文字にヒントがあるかもしれません。「毘」とはすなわち「毘沙門天」のこと。毘沙門天は仏法守護の神で、夜叉・羅刹を率い、仏教世界である須弥山の北方を守護する神です。謙信は自らを自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたというのです。すなわち彼の戦いは、慈悲の心によって突き動かされたものであったのです(それゆえに彼自身の戦の目的ははっきりしません)。

と、このような結論づけてしまうのは極めて安易ではありますが、謙信が信仰に厚かったことだけは揺るぎません。辞世の歌もまさに、仏教的観念で詠まれているではありませんか。

「極楽も地獄も先はありあけの月ぞこころに懸かる雲なし」(上杉謙信)

(たとえ現世で命を落とそうと)極楽か地獄かは分らぬが、行く先はある。有明の月にかかる雲など微塵もない。
ここで月は仏教的な覚りの象徴、いわゆる「真如の月」を表します。すなわち彼はついに迷いのない境地、涅槃寂静に至り死をも克服したと歌っているのです。ポイントは「ありあけ(有明)の月」に見える掛詞の技法、軍神のイメージが強い謙信ですが、和歌や書にも通じた文化人としての一面もあったのです。

謙信は信長との決戦を目前にしに49年の生涯を閉じます。しかし辞世の歌からは後悔や未練などはいっさい感じらません、むしろ清々しい気分に満ち満ちています。だれもが謙信のような心持で人生の最後を迎えられたら、それはとても幸福なことだと思います。

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(書き手:歌僧 内田圓学)

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