玉葉集に採られた永福門院の歌、京極派の筆頭らしく簡潔明瞭な自然詠である。注目すべきは「三日月」、意外に思われるかもしれないが古典和歌において月の「形」が詠まれることは稀だ。見えるか見えぬか、その点のみが和歌における月の肝なのである。さて今日の歌にも明らかだが、京極派の和歌は、和歌であって和歌でない。時間ではなく空間の変化を志向した時点で、京極派は異端であったのだ。
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