今日の橘、昨日までとは様子が異なる。「しめる」とは匂いを染み込ませるの意、つまり風に散る花橘の香りを袖に移し、それをもって彼女との添い寝の手枕にしてやろうというのだ。伊勢六十段の文脈はほとんどなくなっている。ただ男の企みを勘ぐれば花橘の香りに我が身を託そうというのだから、モチーフの役割としては本質的に同じ。また理由を問えば、仮に自分が「昔の男」となったとしても、せめて花橘の香で思い出してもらおう、というものだから風雅に見えてその実みみっちい。詠み人は藤原基俊、この歌に見る限り、業平のような男っぷりには欠けるようだ。
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