歌というものは時として、「いかに詠んだか」よりも「だれが詠んだか」の方が重要になる。『願わくば桜の下で死にたい。花咲き初める二月の満月の桜の木の下で』。桜と満月の取り合わせに、今の人は理想的な美の風景を思うかもしれない。しかし、伝統的な和歌でこれらを合わせて詠むことはない。過剰なのだ! 盆と正月、寿司とステーキ、山盛りの宝石!! 今日の歌は優雅を遥かに超えて下品なのである。しかしこれが許される場合がある、詠み人だ。まあご存知だとは思うが西行である。西行は花と月という色の極みを求めて仏の道を歩んだ、支離滅裂、むちゃくちゃである。その人だからこそ成り立つ一首、稀代の作品だ。今日今宵はまさに如月(旧暦二月)の望月、隈なき月下の桜に出会えたら、彼の狂気を一寸感じられるかもしれない。
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