ちょうどひと月くらい前、私たちは西行による名月賛歌の数々を鑑賞した。伝説の歌人西行が寄せる、月への並々ならぬ愛情をひしと感じたことだろう。ところがである、その中秋の名月をも越えて彼が心酔するものが他あった! なんとそれは九月十三夜の月、いわゆる豆もしくは栗と呼ばれる名月である。
『雲のない中秋の空のやつなんかよりも、月というのは今宵(九月十三夜)の月こそ、その名にふさわしいのだ』。いつごろから十三夜の月を愛ではじめたのか、定かではないがけっして古い話ではないだろう。中世、兼好法師くらいになると当たり前となり※、やがて「十五夜」また「十三夜」どちらの月しか見ないことを「片見月」などといって、無風流のレッテルを貼った。ただ風流を固定化する時点で、風流ではなくなってしまうのだけれども。
※「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」(「徒然草」第百三十七段)
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