暮れていく春のみなとは知らねどもかすみにおつる宇治の柴船(寂蓮法師)

今日の詠み人寂連は藤原俊成の甥、定家とは従弟の関係にある。六百番歌合の「独鈷鎌首」のエピソードでも伝わるように御子左家を代表する歌人だ。その歌風は定家、家隆にも負けぬ当代流だが、コテコテの新古今調というわけでもない。絵画的ではあるが、彼らとは違って色を嫌った水墨画のような歌風だ。今日の歌にもそれが現れている。舞台は宇治川、去るゆく春の行き着く先「湊」は分からない。霞の中を柴を積んだ舟が下ってゆく。新古今らしい情趣を感じる風景画であるが、それはモノクロームの印象。寂連という人の仏教的静観がそうさせるのだろう。

(日めくりめく一首)

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