さて、昨日の式子内親王に続き定家の「霞」である。といっても、この歌には霞の文字は見えない。しかし、これが採られた新古今集では霞の歌群に配されており、たしかに受ける印象は霞のように朦朧としている。春の夜、そのはかない夢は途絶えて、横雲が棚引いている。なんという歌だろう! 作者が何を言いたいのかさっぱり分からない。そう、この歌には主意なんてものはないのだ。あるのは言葉の重層、配合によって残されたありもしない幻影だけ。まさに言葉による芸術! これを打ち出した定家と、それを認めた後鳥羽院の審美眼に恐れ入る。
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